うようなこともあった。昼間は(原本伏字)撃ち合った者が、夜になると同じ旋律に心を溶け合わせて踊る。こうなると、戦争の方が本気なのか、踊る方が本気なのかわからなくなる。恐らく本人たち同士といえどもわからないのだろう。わからないからこそ、そういった矛盾したこともやれるのである。(原本伏字) ヴェルダンでも、そういったことがしばしばあったに相違ない。
戦争をそういった変態的なものと見る者は世界の進化の上から(原本伏字) と考える。「エホバは地の果までも戦争をやめしめ、弓を折り、戈を断ち、戦車を火にて焼く。」そういうことが早くから言われていたが、人類始まって以来今日に到るまで、戦争はしばらくも止む時はなかった。今後といえども恐らくそうだろう。ニホバ(ヤーヴェ)についていうならば、彼が考えを変えて人類を地球上から絶滅させ、別種の者を造り出さない限り望めないことかも知れない。(原本伏字) 今に、ヨーロッパのどこかの部分で戦争が始まったら、ヴェルダンの兵器や戦法は完全に out of date になってることが発見されるだろう。……
アルゴンヌの森の彼方に落ちて行く赤い夕日を見ながら、私はそんな取り留めもないことを考えていた。その考え方に変態的なものがあったら、「ヴェルダンの子供たち」に憑かれた結果だと思ってもらいたい。
五
帰りには予定の如くランスには寄ったけれども、ソアッソンに廻る余裕はなくなった。ランスとても、時間が過ぎて寺の扉が締まっていたので、前の茶店に入って遠くから外観を眺めたり、近寄って彫像を数えながら一周りしたりしたきりだった。此の寺は大戦の時にドイツの大砲で上の方がひどく破損したのが、やっと修繕が出来上ったと聞いていたが、来て見ると、塔にはまだガラスの嵌まってない部分があった。
ランスについては、いつかゆっくり印象を書いて見たいと思っている。
[#地から1字上げ](昭和十三年―十四年)
底本:「世界紀行文学全集 第二巻 フランス編2[#「2」はローマ数字2、1−13−22
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