ブラントではなかった。元来彼はモデルを虐待するので有名だったが、製作に打ち嵌まるといかなるモデルも一草一木と同じようにしか思えない芸術家的心事は容易に同情される。しかしレンブラントは市井の俗人の感情をひどく損なって、大きな犠牲を払わなければならなくなった。肖像画の注文は途絶え、しばらくは風景画を描いたり、エッチングを彫ったりしていなければならなかった。
「夜警」の製作にはそういったいきさつがあったことを思うと、私も多くの鑑賞家と共に口を揃えて「夜警」礼讃をしたくなるような気持もあるが、正直のところ、私には此の画のよさがよくわからないのである。
そこへ行くと「評議員」の方はよくわかる。アムステルダムの織物商組合の五人の評議員が、ペルシア風の緋のテイブルクロスで蔽われた一つのテイブルの上に書類を置いて商議していると、後の羽目板に倚つかかるようにして一人の召使の男が無帽で立っている。召使を除く五人は皆同じ服装をして、びろうど[#「びろうど」に傍点]の黒服に白く光る平襟を附け、黒の鍔広の帽子をかぶっている。壁の羽目板の黄褐色とテイブルクロスの緋色の間に、六人の服装の白と黒が美しい対照をつくっている。ハーグの「解剖講義」の場合は、中央に一部分を裂かれた屍体が横たわっているだけでも注意を惹き易いが、これは一冊の帳簿が置かれてあるだけで、話されてる問題は、しかも、商売上のことであろうから、最も平板な極めて散文的な効果しか与え得ない筈であるのに、事実は反対で、見れば見るだけ興味の津津《しんしん》たるものを覚える。というのは、其処には生きた「人間」の心が動いてるからである。五人の顔がそれぞれ特長を持って性格を表わして居り、話されてる一つの問題がそれを強く統一している。中央に片手を上向けて話してる男は恐らく組合の評議員長であろう。その左手に腰を浮かして立ってる男は、性急な性格が眉宇の間に現れ、その後に掛けてる男は一番年長者で温和な性格を示している。右側の二人もそれぞれちがった神経を働かしながら、五人が五人ながら頗るまじめな態度で、いかにも尊敬すべき市民の代表者の印象を与える。召使も作法を心得たつつましさで、忠実に命令を待っている。
今彼等の間では何が商議されているか知らないけれども、見ているとその話が聞こえるような気がする。此の画もみんなの視線がカンヴァスの外へ向いてることを見遁してはならない。彼等は何を見ながら話してるのだろうか? 想像を逞しうすることが許されるならば、彼等は今アムステルダムの市会議事堂に集まってるのだから、その壁板の反対の側に書かれてある格言に目をやってるのではなかろうか? 其処にはオランダの商業を当時世界的に最も信用すべき状態にまで高めた格言が記されてあった。「明確に示された事に於いては約束を竪く守れ。正直に生活せよ。情実によって判断を誤る勿れ。」これがその言葉だった。この精神がオランダの市民を高潔にし、オランダの交易を信用あるものとした。殊に毛織類の取引はオランダが世界で優位を占めていたから、その評議員たちは、取りも直さず、オランダの実業界を代表する名士たちでなければならなかった。
そう思って見ると、この画は市民生活の道義的最高精神を主題としたもので、恐らくレンブラントの後期に於いて最も熱情を罩《こ》めて描いた物の一つであろう。新興オランダの市民意識のほかに、北方人・新教徒としての民族的社会的意識も強く感じられる。結局は彼の研究題目なる「人間」の群像を描いたのであるが、そういった気質に特長づけられた「人間」を描いたのである。ハーグの「解剖講義」を描いてからすでに三十一年、「夜警」を描いてからでさえすでに十九年を経過している。それだけ画家の技術は円熟し、性格透視の力量が深まっているのは当然というべきであろう。
七
オランダで見たレンブラントは大作と組合員肖像画がおもなものだったから、私の感想も自然その方面のものに制限されたが、しかし、私一個の趣味でいうならば、レンブラントの最大の特色は「人間」研究を目的とした個人的肖像画に一番よく現れているように思える。殊に自画像と近親者(息子ティトゥス、妻サスキア、及びヘンドリキエ)の肖像に。
というのも、つまりは、彼が「人間」の研究者であったからだと思う。人間の中でも近親者は一番よく理解していた筈であり、更に彼自身をば彼が一番よく理解していた筈であるから、従って自画像が特によくできてるのではあるまいかと思う。考えて見ると、彼がライデンの風車の下の貧しい家の片隅で描き始めたのも彼自身の顔と近親者(その頃は父と母と妹)の顔だったが、それを死ぬ間際まで飽きることなく描きつづけたというのも、まことに驚くべき不退転の精魂ではあった。
その頃の他の画家たちと同じく、レンブラントにも「聖書」から題材を取った画が少からずある。けれども、いわゆる宗教画と趣を異にする点は、その場合にも、彼は「人間」を描くことが本意であって、その人間の置かれた境遇を「聖書」の伝説から借りたに過ぎないことである。例えばハーグの「殿堂の披露」にしても、(それはハーグの「解剖講義」の前年、二十四歳の時の作品だが)、背景となっている殿堂の内部と大階段、大階段の上にうごめいている三四十人の人物はすべて暗さの中に退き、大階段の下に明るく浮き出している七人(赤ん坊を加えれば八人)の人物が中心である。その中でも、淡青色の長衣の胸に両手をあてて膝まずいているマリアと、彼女から赤ん坊のキリストを取って両手に抱えて、目を天の方へ扛《あ》げて膝まづいている金色の袍を着たシメオンが、主要人物である。マリアの傍に片膝を立てて鳩を持っているヨセフ、その前に立って右手を伸ばして祝福を与えている祭司の後姿、その他のラビたちは、従属的人物である。画面の右下のベンチに掛けてその光景を見ている二人の老人も従属的人物である。レンブラントのねらったところは、救世主の生誕を見て安心して死んで行かれるわが身の幸福を神に感謝するシメオンの心情と、シメオンの預言にわが子の偉大な運命を知った聖母の心情である。それが比較的小さい画面に、大幅のような構図で描かれ、明暗法や彩色法に力を入れてるので、性格描写が二の次になってるような印象を与えるが、その他の「聖書」からの画、例えば、ルーヴルの「エマオの晩餐」(一六四八年)とか、ドレスデンの「サムソンの結婚祝宴」とか、ベルリンの「サムソンとデラヤ」とかになると、殊に後の二つの如きは純然たる性格描写の作品である。
性格描写となると、やはり、肖像画の方が行動や背景の助けなしに幾らでも深く掘り下げて行く手腕を持ってるレンブラントだから、それ等を見て歩いて、天才の成長を跡づけて見ることは、楽しみでもあれば学問にもなる。ロンドン、パリ、ベルリン、ヴィーン、等、等、到る所の博物館に必ず幾つかのレンブラントの傑作は見出せるので、私は他の大家のよい作品を見て歩く間にも、常にレンブラントを捜し出すことを忘れなかった。そうして、その度に、ハーグやアムステルダムを思い出し、遂にオランダはレンブラントによって最も強く印象されるようになった。
[#地から1字上げ](昭和十四年)
底本:「世界紀行文学全集 第八巻 ドイツ、オーストリア、オランダ、ベルギー編」修道社
1960(昭和35)年7月20日発行
底本の親本:「西洋見學」日本評論社
1941(昭和16)年9月10日発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月9日作成
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