であり、新教の国であることを考えると、また、近代に入って科学が逸早く発達し、同時に実際主義的思想が行き亘り、経済的には交通貿易の隆盛と共に富裕になった国であることを考えると、その美術がロマンティクな奔放に飛躍せず、神秘的な晦渋に偏せず、情緒的な滲泄を見せないのもむしろ当然であり、どこまでも堅実な写実主義の苗床であった理由が理解される。そうして、その苗床で成長した最大の樹木こそレンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(一六〇六ー六九)だったのである。
レンブラントを十五歳の年長者なる同時代のルーベンスに比較すると、同じネーデルランドの画家でありながら、何と相違のあることだろう。前者はどこまでも地道な写実主義から出発して、執拗にその道から踏み出すまいとかじりついているに対し、後者は奔放自在に筆を駆使して天に登ったり地にもぐったりして端倪を知らざるものがある。どちらも抜群の色彩家ではあるが、前者は暗褐色の主調を最後まで守り通しており、後者は赤赤とした鮮明な絵の具を吝みなくぬたくり附けて、途方もなく大きなカンヴァスの上にはちきれそうな肉体を無数に列べ立てて居る。どちらも比類なき技術家ではあるが、前者はその技術が技術以上のものを描き出し、人間の魂の姿を見せる高さにまで達しているに対し、後者はややもすれば腕にまかせて技術をひけらかそうとする野心が鼻につく。そんな意味で私はルーベンスの画はヨーロッパの到る所でまたかと思うほど数多く見せられたが、正直にいうと、最後まで馴染まなかった。尤も、ルーベンスは前古未曾有の流行児で、各国の宮廷貴族からいつも注文が殺到し、生涯に二千以上の作品を製造するにも多くの弟子の手を使ったことは確実であるから、彼の真の技術を調べるには限られた少数の作品にのみついて見るべきであるが、それ等について見ても私の趣味は遂に彼に親しみを感じることができなかった。そこへ行くと、レンブラントは、写生や習作の端に到るまで、どの一枚の画にも足を留めて仔細に凝視させないでは措かない魅力を持っている。
四
レンブラントはライデンの貧しい粉屋の四番目の息子に生れ、風車で揺れる小さい部屋の中で、子供の頃から父や母や妹をモデルにしたり、自分の顔をモデルにしたりして、画ばかり描いていた。初めは教師に就いたこともあり、先輩の作品を模写したこともあり、イタリアの作品はあまり彼に訴えなかったようであるが、ルーベンスは或る時期には相当に彼を動かし、いつもルーベンスのことを考えていたようである。けれども、ルーベンスとはおよそ反対の行き方をするようになった。というのは、彼のあたまの中にもやもやしていたものを表現するには、他人の表現法では間に合わないことをはっきりと自覚したからである。それで、彼は自然を師として彼自身の表現法を発明した。形を正確に造り出して色と光で調子を出すことについての独得の表現法である。それは彼にとって生涯の研究問題であった。もちろん技術の問題ではあったが、それを指導するものは彼の心の内奥に燃えさかる人間知に対する探究の情熱であった。彼を遂に美術史上に於ける最も特色ある偉大な芸術家として造り上げた情熱であった。彼が「オランダのシェイクスピア」といわれるのも、その点で頗る適切な評語である。
シェイクスピアはストラトフォド・オン・エイヴォンの雑穀肉屋の息子に生れ、ろくに学校生活もしないで、あれだけの人間学を独力で世間から習得し、大学などでは到底学び取ることのできない才能を以って、世にも稀な芸術品を数多く作り上げた。レンブラントも少年の頃文法学校に通ったきりで、父は犠牲を払っても四男だけはライデンの大学に入れたいと思っていたけれども、彼の情熱は画のこと以外には向かなかったから、父の希望を満足させることはできなかった。彼は二十五の年にアムステルダム――国際都市として膨脹しつつあったアムステルダムへ出て、職業的画家の生活に入った。
オランダでは事業に成功した者や職業組合が、貴族のするように、画家に自分たちの肖像を描かせる風習があった。若いレンブラントにも注文が殺到した。彼は忽ち有名になり、美しいサスキアを妻に持ち、金は手に入るにまかせて荒く使った。殊に諸国から輸入された美術品・骨董類をめちゃくちゃに買い込んだ。まるで自分の家を博物館にするのではないかと思われたほどだった。結婚して八年目に妻のサスキアは死んだ。一人の息子を残して。その頃からレンブラントの名声は次第に落ちて行った。彼の芸術心が世俗の要求を十分に充たしてやるように彼を努力させなかったからであった。彼は貧苦と戦わねばならなくなった。彼は絵筆の代りにエッチングの針を持つことの方が多くなった。年若い無教養の女中ヘンドリキエ・ストッフェルスと同棲して、世間から全く隔絶されるよう
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