「草衣集」はしがき
野上豐一郎
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『草衣集』は私の最初の隨筆集である。此の中に收められてあるやうな種類のものは、以前からかなりたくさん書いたものであるが、舊いものは後になつて見ると、自分の未成熟の昔の姿を見るやうで、たまに人に勸められてもまとめて本にするやうな氣にもなれず、自分の過ぎ去つた月日と共に、忘却の中へ過ぎ去らしてよいものだと思つてゐた。ところが物ずきな人があつて、とうとう斯んなものを私に作らした。
此の中に集められてあるものは、「九月一日」と「湖水めぐり」以外は、比較的新らしく書いたもので、主として旅行の印象記である。私は旅行することは決してきらひではないが、出かけるまでが何となく氣おもで、隨つてあまり多く旅行してゐない。旅行するにしても、たいがい用事を持つた旅行で、漫然と自然の景觀を樂しむための旅行といふものはめつたにしなかつた。三年前友人に誘はれて朝鮮へ行つたぐらゐのものである。それもかうまとめて讀み返して見ると、自然に對する興味よりも人間に對する興味の方が主になつて居ることに氣づき、自分ながらよくよく俗に生れついたことに感心してゐる。俗も大俗であればまた以つておもしろいのであるが、私のは俗も甚だ貧弱な俗で、人間の興味といつても、ややもすれば囘顧的になりがちで、現代の文化の批判といつたやうな態度よりも、過去の文化に對する憧憬といつたやうな形になりがちであることに氣づく。これは私事であるが、かうまとめて見て些か自ら反省するところがあるので書き留めて置く。
此の『草衣集』は去年の夏北輕井澤の高原に轉地中まとめたものであつたが、まとめて居る間に、支那事變が起り、南京陷落の前後に校了となつて、今年の正月には本になる筈であつたのが、その本屋にも事變が起つて、相模書房の小林美一君の厚意でやつと本になることとなつた。此の「はしがき」を書いて居る時、新聞はしきりに除州の攻略の切迫を傳へて居る。恐らくこれが今度の事變の結末の大戰であらうとも傳へられてゐる。もしさうだとすると、『草衣集』は事變の全期間を要してやつと生れ出るわけである。日本は乾坤一擲の大事業をやつて居るのに、私の『草衣集』はやうやく斯んなあはれな出現を見たに過ぎない。
尚、朝鮮の寫眞を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入するについては、友人安倍能成君の厚意に依るものが多く、また奈良飛鳥園小川晴暘氏の撮影したものをも借用した。併せて厚意を謝す。
[#天から4字下げ]昭和十三年五月十三日、九州へ旅立つ前日、東京にて
[#地から3字上げ]著者
底本:「草衣集」相模書房
1938(昭和13)年6月13日発行
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2006年9月19日作成
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