デルロ自身の
【恩惠】神の
【圍の内】chiostra(地、二九・四〇―二註參照)地獄の圈
二五―二七
我は罪を行へるにあらざれども信仰なく神をあがむるの道を盡さざりしため神(即ち汝がその許にいたらんことを待望み我わが死後にいたりてはじめて知れる神)を見るをえざるなり
二八―三〇
【處】リムボ(地、四・二五以下參照)
三一―三三
【人の罪】始祖アダム罪を犯してより人類一般に相傳し普及せる罪惡的傾向
【釋かれ】洗禮を受けて
三四―三六
【聖なる徳】信と望と愛(コリント前、一三・一三)。リムボの聖賢は多くの徳を有すれども宗教教理の三徳を缺く
四六―四八
【魂】八二―四行註參照
五二―五四
【日】日の光は神より出づる光なり、人神恩に浴せざれば一歩と雖も救ひの途に進むあたはず(ヨハネ、一一・九―一〇、一二・三五參照)
五八―六〇
【間】夜間。神恩なくば人たゞ罪に歸るか、さなくも淨めの道に進むをえずして徒に時を費すのみ
七〇―七二
【忽ち嶮】Tra erto e piano 或ひは、嶮しきにもあらず坦なるにもあらざる
【坎】溪
【縁半より】溪の縁の一部の他の部分に比ぶれば低くしてその半にあたらざるところ。溪に下るに極めて容易なるところ
七三―七五
【光りてあざやかなるインドの木】Indico legno lucido e sereno(ムーア本)或ひはこの一行を二分し「藍、光りて鮮かなる木」と讀み、後者は磨ける樫の木などの色淡黒なるを指せりと解する人あり、また然らずしてインドの木と讀む人の中にも或ひはこれを以て藍を指せりとし、或ひは烏木《こくたん》を指せりとし註釋者の説一ならず
學會本 indaco, lugno lucido, sereno,
八二―八四
【魂】國事に沒頭せるため死に臨むまで罪を悔いざりし帝王侯伯の靈。溪の美しきは世の榮華をあらはせるなるべし
【サルウェ・レーギーナ】Salue Regina(あゝ女王よ)、日沒後の禮拜のをり寺院内にうたふ祈りの歌
こは涙の溪(うき世)より聖母を呼び御子耶蘇を我等に現はしたまへと請ふ歌なればダンテその意を寓し靈の事を顧みざりし君主等をしてその悲境を訴へしめしなり。この歌全部、英譯とともにノルトンの註にいづ
八五―八七
【しばしの日】殘り少なき日暮れはつるまでは
九一―九三
【いと高き】世の地位最も高ければなり、この曲の終りに侯爵グイリエルモがいと低き處にあるも理同じ
【責務】ローマ皇帝としてイタリアに赴き親しく統御の任に當ること(淨、六・一〇三―五參照)
九四―九六
【ロドルフォ】ハプスブルク家のルドルフ。一二一八年に生れ、同七三年十月アクイスグラヌム(ドイツ)にて皇帝の位に登り、同九一年七月死す
【傷】閥族黨與の爭ひ。
【人再び】ハインリヒ七世(淨、六・一〇〇―二註參照)がイタリアの統一を圖りて事成らざりしにいひ及べるならんといふ、ハインリヒのイタリアにいたれるは一三一一年なり
されど神曲のこの部分をハインリヒの死(一三一三年八月)以前の作となす人は九六行の tardi をおそきに過ぐる意にあらずして容易ならざる意に解すべきか(淨、三三・四三―五註參照)
九七―九九
【慰むる】昔の仇敵も今の友となりて
【地】ボヘミア。モルダウ(モルタ)川の水源この國にあり、この川エルべ(アルビ)と合し北流して海に注ぐ
一〇〇―一〇二
【オッタケッルロ】オットカール。ルドルフの勁敵オットカール二世、一二五三年ボヘミアの王となり屡※[#二の字点、1−2−22]ルドルフと戰ひ一二七八年ウィーン附近に戰死す
【襁褓に】弱年のオットカールも今壯年のヴィンチスラーオよりはなほはるかにまされる君主なりき
【ヴェンチェスラーオ】ヴィンチスラーウス四世。一二七〇年に生れ、同七八年父の後を承けてボヘミア王となり一三〇五年に死す(天、一九・一二四―六參照)
一〇三―一〇五
【貴き者】ナヴァール王テバルド二世(地、二二・五二―四)の兄弟エンリケ。一二七〇年ナヴァールの王位を繼ぎ同七四年に死す、その女ジヨヴァンナは父の死後フィリップ四世の妃となれり
【鼻の小さき者】フランス王フィリップ三世。ルイ九世の次子、一二四五年に生れ、同七〇年父につぎてフランス王となり同八五年に死す
【百合の花】アラゴン(イスパニアにあり)王ペドロ三世との戰ひにフランスの艦隊利を失ひ、カタローニアに攻入りしフィリップはその退却中ペルピニアーノ(フランスの南端)にて死せり(一二八五年)。フランス王家の旗は青地に三の金の百合なれば退きて軍旗を辱しめしを花を萎れしむといへるなり
一〇六―一〇八
フィリップ三世の己が胸を打ち、エンリケの己が手に顏を支へて歎くは前者の子後者の女婿なるフィリップ四世の罪惡を恥づるなり
一〇九―一一一
【フランスの禍ひ】フランス王フィリップ四世(一二六八―一三一四年)。フィリップ三世の子なり、『神曲』中ダンテ處々にその非を擧ぐ(地、一九・八五―七。淨、二〇・九一―三。天、一九・一一八―二〇等)
一一二―一一四
【身かの如く】アラゴン王ペドロ(ピエートロ三世。一二三六年に生れ同七六年アラゴンの王位を繼承し、同八二年「シケリアの虐殺」ありし後、彼地の王となり、同八五年に死す、その妻はマンフレディの女コンスタンツェなり(淨、三・一一五―七參照)
【鼻の雄々しき】シヤルル・ダンジュー一世(一二二〇―一二八五年)。フランス王聖ルイ(ルイ九世)の弟にしてプーリア及びシケリアに王たり
一一五―一一七
【若き者】ペドロ三世の長子アルフォンソ三世。一二八五年父の後を承けてアラゴンの王となり一二九一年に死す
【器より器に】父より子に
一一八―一二〇
【ヤーコモとフェデリーゴ】ハイメ(ヤーコモ)はペドロ三世の次子、初めシケリアに王たりしが兄アルフォンソの死後アラゴンの讓りを受け、一三二七年死す。フェデリーコ(フェデリーゴ)はハイメの弟、ハイメ、アラゴンの王となるに及びてシケリアを治め一三三七年に死す
【善きもの】父の徳
一二一―一二三
【それ人の】父の美徳、子に傳へらるゝこと稀なり
【與ふるもの】神。神は徳の神より出ずるものにして遺傳によりて人の有するものにあらざることを世に知らしめたまはんとて
一二四―一二六
ハイメとフェデリーコがその父の徳を嗣がざるごとくシヤルル二世もまたその父シヤルル一世(鼻の大いなる者)の徳を有せず
【プーリア、プロヴェンツァ】シヤルル・ダンジューに次ぎてプーリアとプロヴァンスを治めし者はその子シヤルル二世(一二四三―一三〇九年)なり、このシヤルルは父に及ばずして統御の道その宜しきをえず、民悲歎にくるゝなり
プロヴァンスはシヤルル一世がベアトリスを娶れる時その所領となりしところ
一二七―一二九
シヤルル二世(樹)のその父シヤルル・ダンジュー(種)に及ばざることあたかもシヤルル・ダンジュー自身のペドロ三世に及ばざるに似たり
【コスタンツァ】ペドロ三世の妻(一三〇三年死)
【ベアトリーチェ】ベアトリス。プロヴァンスの伯爵ライモンドの女にしてシヤルル一世の初めの妻
【マルゲリータ】ボルゴニアの公爵エウデの女。一二六八年即ちベアトリスの死せし翌年シヤルルの後妻となれり
一三〇―一三二
【アルリーゴ】英王ヘンリー三世(一二〇六―一二七二年)
【枝には】その子エドワード一世(一二四〇―一三〇七年)の明君なりしをいふ
【まされる】シヤルル、ペドロ等の子に比して
一三三―一三五
【グイリエルモ】モンフェルラートの侯爵グイリエルモ七世。北部イタリアに多くの地を領しギベルリニ黨の首領となりて大いにグエルフィと戰へり、一二九〇年アスチ(ピエモンテの中)の人々アレクサンドリアを唆かしてグイリエルモに叛かしむるやグイリエルモその亂を鎭めんとてかの地に赴き却つてアレクサンドリア人の捕ふるところとなり(同年九月)鐡籠の中に幽せられて死す(一二九二年二月)
一三六
【モンフェルラート】北イタリアの中なるポー川の南の地にて今のピエモンテの一部にあたる
【カナヴェーゼ】北イタリアの西部ポーの北の地。モンフェルラートと共にグイリエルモの侯爵領地たり
グイリエルモの子ジヨヴァンニ父の仇を報いんとてアレクサンドリア人と戰ひしも利あらず、侯爵領地の民久しくその禍亂になやめり
第八曲
ウェルギリウス及びソルデルロとともにダンテなほ君王の溪にありてニーノ・ヴィスコンティの靈とかたる、溪を襲へる一匹の蛇ふたりの天使に逐はれし後、彼またコルラード・マラスピーナと語りかつその豫言を聞く
一―六
【思ひ歸りて】思ひ郷に歸りて
【時】夕暮
七―九
【きかず】ソルデルロ語らず、君王の魂その歌をうたひ終りてまた聞ゆるものなければ
一〇―一二
【東】往時祈祷を捧ぐる人東に向ふを例とせり
一三―一五
【テー・ルーキス・アンテ】Te lucis ante(terminum)(光消えざるさきに)一日中の最終の禮拜の時(compieta)寺院内にうたふ祈りの歌にて夜の間の加護をねぎもとむるもの
一九―二一
【被物は】難解の譬喩にあらざれば容易にその眞義をさとりうべきをいへり
蛇は誘惑なり、天使は冥助なり、救ひの道にあるものといへどもその初めにあたりては誘惑にあふを免かれず、されどその信仰により天の冥助をえて罪を犯すにいたることなし
二二―二四
【蒼ざめ】誘惑を恐れ神前に謙りてその祐助を待つ
二五―二七
【焔の劒】(創世記三・二四參照)註釋者曰。劒に切尖なきはたゞ敵を防ぐためにて殺すためにあらざればなりと
二八―三〇
【縁】縁色は希望の象徴なり
三七―三九
【マリアの懷】聖母マリアの座所即ちエムビレオの天(天、三一・一一八以下)
四〇―四二
【背】ウェルギリウスの
四九―五一
【はじめかくれ】未だ眞の闇にあらねば、さきにはあはひ遠くして見えざりし互ひの姿も今は近くして見ゆるなり
五二―五四
【ニーン】ニーノ・ヴィスコンティ。ピサ市グエルフ黨の首領なるジヨヴァンニ・ヴィスコンティとウゴリーノ伯の女との間の子(地、三三・一三―五註參照)、一二七五年サールディニア島の一州ガルルーラの知事となり(地、二二・七九―八四註參照)後また祖父ウゴリーノと共にピサの市政に與かれるも幾何もなくこれと相爭ひ、一二八八年ピサを去り一二九六年サールディニアに死す
五五―五七
【水を渡りて】テーヴェレの河口より天使の船に乘りて。ニーノはダンテの境遇を知らざれば斯くいへり
五八―六〇
【今朝】四月十日の朝(淨、一・一九―二一註參照)
【第二の生】原文、他の生。永遠の生命
六一―六三
【しざりぬ】驚き惑ひて。ダンテにあふ者或ひはその呼吸により(淨、二・六七以下等)或ひはその影により(淨、三・九一以下等)てその生者なるを知れり、されどソルデルロはウェルギリウスの事に心奪はれて深くダンテに注意するの暇なく、且つこの頃日既に山の後にかくれゐたれば(淨、六・五六―七)影をみるをえざりしなり
六四―六六
【その一】ソルデルロ
【また一】ニーノ
【クルラード】クルラード・マラスピーナ(一〇九―一一行註參照)
【事】人に生きながら冥界をめぐるをえさせたまひしこと
六七―六九
水の深きがごとく奧深くして人智もこれを知る能はざるまでにみ業《わざ》の源をかくしたまふ神より汝のうくる特殊の惠みを指して
七〇―七二
【ジヨヴァンナ】ニーノの女、一三〇〇年には九歳ばかりなりきといふ
【罪なき者の】わがために祈りを天にさゝげしめよ
七三―七五
【母】ベアトリーチェ・オピッツオ・ダ・エスティ(地、一二・一一一)の女、一二九六年夫ニーノ死して後己が郷里フェルラーラに歸り、一三〇〇年ミラーノの君なるマッテオ・ヴィスコンティの子ガレアッツオに嫁す
【白き首※[#「巾+白」、第4水準2−8−83]】中古、寡婦の服裝は黒衣に白の首※[#「巾+白」、第4水準2−8−83]なりき、ベアトリーチェがこれを棄てて再嫁しミラーノに赴きしは一三〇〇年の半の頃なりしかど『神曲』示現の當時婚約既に成立ちゐたりしなるべしといふ
【あはれ】再嫁を悔いて寡婦の昔を
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