かならざりしかど)ベアトリーチェが、身たゞ一にて性《さが》二ある獸のかたにむかふを見たり 七九―八一
面※[#「巾+白」、第4水準2−8−83]《かほおほひ》におほはれ、流れのかなたにありてさへ、彼はその未だ世にありし頃世の女|等《たち》に優《まさ》れるよりもさらに己が昔の姿にまされりとみゆ 八二―八四
悔《くい》の刺草《いらくさ》いたく我を刺ししかば、すべてのものの中にて最も深く我を迷はしわが愛を惹けるものわが最も忌嫌《いみきら》ふものとはなりぬ 八五―八七
我かく己が非をさとる心の痛みに堪へかねて倒れき、此時我のいかなるさまにてありしやは我をこゝにいたらしめし者ぞ知るなる 八八―九〇
かくてわが心その能力《ちから》を外部《そと》に還せし時、我は先に唯獨りにて我に現れし淑女をば我|上《うへ》の方《かた》に見たり、彼曰ふ。我を捉《とら》へよ我をとらへよ。 九一―九三
彼は流れの中に既に我を喉まで引入れ、今己が後《うしろ》より我を曳きつゝ、杼《ひ》のごとく輕く水の上を歩めるなりき 九四―九六
われ福《さいはひ》の岸に近づけるとき、汝我に注ぎ給へ[#「汝我に注ぎ給へ」に白丸傍点]といふ聲聞えぬ、その麗はしさ類《たぐひ》なければ思出づることだに能はず何ぞ記《しる》すをうべけんや 九七―九九
かの美しき淑女|腕《かひな》をひらきてわが首《かうべ》が抱き、なほも我を沈めて水を飮まざるをえざらしめ 一〇〇―一〇二
その後我をひきいだして、よたりの美しき者の踊れるなかに、かく洗はれしわが身をおき、彼等は各※[#二の字点、1−2−22]その腕《かひな》をもて我を蔽へり 一〇三―一〇五
こゝには我等ニンフェなり、天には我等星ぞかし、ベアトリーチェのまだ世に降らざるさきに、我等は定まりきその侍女《はしため》と 一〇六―一〇八
我等汝を導いて彼の目の邊《ほとり》に到らむ、されどその中《うち》なる悦びの光を見んため、物を見ること尚深き彼處《かしこ》の三者《みたり》汝の目をば強くせむ。 一〇九―一一一
かくうたひて後、彼等は我をグリフォネの胸のほとり、ベアトリーチェの我等にむかひて立ちゐたるところに連行《つれゆ》き 一一二―一一四
いひけるは。汝見ることを惜しむなかれ、我等は汝を縁の珠の前におけり、愛かつて汝を射んとてその矢をこれより拔きたるなりき。 一一五―一一七
火よりも熱き千々《ちゞ》の願ひわが目をしてかのたえずグリフォネの上にとまれる光ある目にそゞがしむれば 一一八―一二〇
二樣の獸は忽ち彼忽ち此の姿態《みぶり》をうつしてその中にかゞやき、そのさま日輪の鏡におけるに異なるなかりき 一二一―一二三
讀者よ、物みづから動かざるにその映《うつ》れる象《かたち》變るを視しとき我のあやしまざりしや否やを思へ 一二四―一二六
いたくおどろき且つまた喜びてわが魂この食物《くひもの》(飽くに從ひていよ/\慾を起さしむ)を味へる間に 一二七―一二九
かのみたりの女、姿に際《きは》のさらにすぐれて貴《たか》きをあらはし、その天使の如き舞の詞《しらべ》につれてをどりつゝ進みいでたり 一三〇―一三二
むけよベアトリーチェ、汝に忠實《まめやか》なるものに汝の聖なる目をむけよ、彼は汝にあはんとてかく多くの歩履《あゆみ》をはこべり 一三三―
ねがはくは我等のために汝の口を彼にあらはし、彼をして汝のかくす第二の美を辨《わきま》へしめよ。是彼等の歌なりき ―一三八
あゝ生くるとこしへの光の輝《かゞやき》よ、パルナーゾの蔭に色あをざめまたはその泉の水をいかに飮みたる者といふとも 一三九―一四一
汝が濶《ひろ》き空氣の中に汝の面※[#「巾+白」、第4水準2−8−83]《かほおほひ》を脱《ぬ》ぎて天のその調《しらべ》をあはせつゝ汝の上を覆ふ處に現はれし時の姿をば寫し出さんとするにあたり 一四二―一四四
豈その心を亂さざらんや
[#改ページ]

   第三十二曲

十年《ととせ》の渇《かわき》をしづめんため、心をこめてわが目をとむれば、他の官能はすべて眠れり 一―三
またこの目には左右に等閑《なほざり》の壁ありき、聖なる微笑《ほゝゑみ》昔の網をもてかくこれを己の許に引きたればなり 四―六
このときかの女神等《めがみたち》、汝あまりに凝視《みつむ》るよといひてしひてわが目を左の方にむかはしむ 七―九
日の光に射られし目にてたゞちに物を見る時のごとく、我やゝ久しくみることあたはざりしかど 一〇―一二
視力|舊《もと》に復《かへ》りて小《ちひ》さき輝《かゞやき》に堪ふるに及び(わがこれを小さしといへるはしひてわが目を離すにいたれる大いなる輝に比ぶればなり) 一三―一五
我は榮光の戰士《つはもの》等が身をめぐらして右にむかひ、日と七の焔の光を顏にうけつゝ歸るを見たり 一六―一八
たとへば一の隊伍の、己を護らんとて盾《たて》にかくれ、その擧りて方向《むき》を變ふるをえざるまに、旗を持ちつゝめぐるがごとく 一九―二一
かの先に進める天の王國の軍人《いくさびと》等は、車がいまだその轅《ながえ》を枉げざるまに、皆我等の前を過ぐ 二二―二四
是に於てか淑女等は輪のほとりに歸り、グリフォネはその羽の一をも搖《ゆる》がさずしてたふとき荷をうごかし 二五―二七
我をひきて水を渉れる美しき淑女とスターツィオと我とは、轍《わだち》に殘せし弓の形の小さき方《かた》なる輪に從ひ 二八―三〇
かくしてかの高き林、蛇を信ぜし女の罪に空しくなりたる地をわけゆけば、天使のうたふ一の歌我等の歩履《あゆみ》を齊《とゝの》へり 三一―三三
彎《ひ》き放たれし矢の飛ぶこと三|度《たび》にして屆くとみゆるところまで我等進めるとき、ベアトリーチェはおりたちぬ 三四―三六
衆皆聲をひそめてアダモといひ、やがて枝に花も葉もなき一|本《もと》の木のまはりを卷けり 三七―三九
その髭は森の中なるインド|人《びと》をも驚かすばかりに高く、かつ高きに從ひていよ/\伸び弘《ひろ》がれり 四〇―四二
福なるかなグリフォネよ、この木口に甘しといへどもいたく腹をなやますがゆゑに汝これを啄《ついば》まず。 四三―四五
たくましき木のまはりにて衆かくよばはれば、かの二樣の獸は、すべての義の種かくのごとくにして保たるといひ 四六―四八
曳き來れる轅《ながえ》にむかひつゝこれを裸なる幹の下《もと》にひきよせ、その小枝をもてこれにつなげり 四九―五一
大いなる光天上の魚の後《うしろ》にかゞやく光にまじりて降るとき、わが世の草木《くさき》 五二―五四
膨れいで、日がその駿馬《しゆんめ》を他の星の下に裝はざるまに、各※[#二の字点、1−2−22]その色をもて姿を新たにするごとく 五五―五七
さきに枝のさびれしこの木、薔薇《ばら》より淡《うす》く菫より濃き色をいだして新たになりぬ 五八―六〇
このときかの民うたへるも我その歌の意《こゝろ》を解《げ》せず――世にうたはるゝことあらじ――またよく終りまで聞くをえざりき 六一―六三
我若しかの非情の目、その守《まもり》きびしきために高き價を拂へる目が、シリンガの事を聞きつゝ眠れる状《さま》を寫すをうべくば 六四―
我自らの眠れるさまを、恰も樣式《かた》を見てゑがく畫家の如くに録《しる》さんものを、巧みに睡りを現はす者にあらざればこの事望み難きがゆゑに ―六九
わがめさめし時にたゞちにうつりて語るらく、とある光の煌《きらめき》と起きよ汝何を爲すやとよばはる聲とはわが睡りの幕を裂きたり 七〇―七二
林檎(諸※[#二の字点、1−2−22]の天使をしてその果《み》をしきりに求めしめ無窮の婚筵を天にいとなむ)の小さき花を見んため 七三―七五
ピエートロとジヨヴァンニとヤーコポと導かれて氣を失ひ、さらに大いなる睡りを破れる言葉をきゝて我にかへりて 七六―七八
その侶の減りたる――モイゼもエリアもあらざれば――とその師の衣の變りたるとをみしごとく 七九―八一
我もまた我にかへりてかの慈悲深き淑女、さきに流れに沿ひてわが歩履《あゆみ》をみちびけるもののわがほとりに立てるを見 八二―八四
いたくあやしみていひけるは。ベアトリーチェはいづこにありや。彼。新しき木葉《このは》の下にてその根の上に坐するを見よ 八五―八七
彼をかこめる組《くみ》をみよ、他はみないよ/\うるはしき奧深き歌をうたひつゝグリフォネの後《あと》より昇る。 八八―九〇
我は彼のなほかたれるや否やをしらず、そはわが心を塞ぎてほかにむかはしめざりし女既にわが目に入りたればなり 九一―九三
彼はかの二樣の獸の繋げる輦《くるま》をまもらんとてかしこに殘るもののごとくひとり眞《まこと》の地の上に坐し 九四―九六
七のニンフェは北風《アクイロネ》も南風《アウストロ》も消すあたはざる光を手にし、彼のまはりに身をもてまろき圍《かこひ》をつくれり 九七―九九
汝はこゝに少時《しばらく》林の人となり、その後かぎりなく我と倶にかのローマ即ちクリストをローマ|人《びと》の中にかぞふる都の民のひとりとなるべし 一〇〇―一〇二
さればもとれる世を益せんため、目を今|輦《くるま》にとめよ、しかして汝の見ることをかなたに歸るにおよびて記《しる》せ。 一〇三―一〇五
ベアトリーチェ斯く、また我はつゝしみてその命に從はんとのみ思ひゐたれば、心をも目をもその求むるところにむけたり 一〇六―一〇八
いと遠きところより雨の落つるとき、濃き雲の中より火の降るはやしといへども 一〇九―一一一
わが見しジョーヴェの鳥に及ばじ、この鳥木をわけ舞ひくだりて花と新しき葉と皮とをくだき 一一二―一一四
またその力を極めて輦《くるま》を打てば、輦はゆらぎてさながら嵐の中なる船の、浪にゆすられ、忽ち右舷忽ち左舷に傾くに似たりき 一一五―一一七
我また見しにすべての良き食物《くひもの》に饑うとみゆる一匹の牝狐かの凱旋車の車内にかけいりぬ 一一八―一二〇
されどわが淑女はその穢《けがら》はしき罪を責めてこれを逐ひ、肉なき骨のこれに許すかぎりわしらしむ 一二一―一二三
我また見しにかの鷲はじめのごとく舞下りて車の匣《はこ》の内に入り己が羽をかしこに散《ちら》して飛去りぬ 一二四―一二六
この時なやめる心よりいづるごとき聲天よりいでていひけるは。ああわが小舟《をぶね》よ、汝の積める荷はいかにあしきかな。 一二七―一二九
次にはわれ輪と輪の間の地ひらくがごときをおぼえ、またその中より一の龍のいで來るをみたり、この者尾をあげて輦《くるま》を刺し 一三〇―一三二
やがて螫《はり》を收むる蜂のごとくその魔性の尾を引縮め車底の一部を引出《ひきいだ》して紆曲《うね》りつつ去りゆけり 一三三―一三五
殘れる物は肥えたる土の草におけるがごとく羽(おそらくは健全《すこやか》にして厚き志よりさゝげられたる)に 一三六―一三八
おほはれ、左右の輪及び轅《ながえ》もまたたゞちに――その早きこと一の歎息《ためいき》の口を開く間にまされり――これにおほはる 一三九―一四一
さてかく變りて後この聖なる建物《たてもの》その處々《ところ/″\》より頭を出せり、即ち轅よりは三、稜《かど》よりはみな一を出せり 一四二―一四四
前の三には牡牛のごとき角あれども後の四には額に一の角あるのみ、げにかく寄《くす》しき物かつてあらはれし例《ためし》なし 一四五―一四七
その上には高山《たかやま》の上の城のごとく安らかに坐し、しきりにあたりをみまはしゐたるひとりのしまりなき遊女《あそびめ》ありき 一四八―一五〇
我また見しにあたかもかの女の奪ひ去らるゝを防ぐがごとく、ひとりの巨人その傍に立ちてしば/\これと接吻《くちづけ》したり 一五一―一五三
されど女がその定まらずみだりなる目を我にむくるや、かの心猛き馴染《なじみ》頭より足にいたるまでこれを策《むちう》ち 一五四―一五六
かくて嫉みと怒りにたへかね、異形《いぎやう》の物を釋き放ちて林の奧に曳入るれば、たゞこの林|盾《たて》となりて 一五七―一五九
遊女《あそびめ》も奇《くす》しき獸も見えざりき 一六〇―一六二
[#改ページ]
前へ 次へ
全40ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ダンテ アリギエリ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング