中にありて汝を愛せる如く今|紲《きづな》を離れて汝を愛す、此故に止まらむ、されど汝の行くは何の爲ぞや。 八八―九〇
我曰ふ。わがカゼルラよ、我のこの羈旅《たびぢ》にあるは再びこゝに歸らんためなり、されど汝何によりてかく多く時を失へるや。 九一―九三
彼我に。時をも人をも心のまゝにえらぶもの、屡※[#二の字点、1−2−22]我を拒みてこゝに渡るを許さゞりしかどこれ我に非をなせるにあらず 九四―九六
その意正しき意より成る、されど彼はこの三月《みつき》の間、乘るを願ふものあれば、うけがひて皆これを載せたり 九七―九九
さればこそしばしさき、我かのテーヴェロの水|潮《うしほ》に變る海の邊《ほとり》にゆきたるに、彼こころよくうけいれしなれ 一〇〇―一〇二
彼今翼をかの河口《くち》に向く、そはアケロンテの方《かた》にくだらざるものかしこに集まる習ひなればなり。 一〇三―一〇五
我。新しき律法《おきて》汝より、わがすべての願ひを鎭むるを常とせし戀歌の記憶またはその技《わざ》を奪はずば 一〇六―一〇八
肉體とともにこゝに來りて疲《つかれ》甚しきわが魂を、ねがはくは少しくこれをもて慰めよ。 一〇九―一一一
「わが心の中にものいふ戀は」と彼はこのときうたひいづるに、そのうるはしさ今猶耳に殘るばかりに妙《たへ》なりき 一一二―一一四
わが師も我も彼と共にありし民等もみないたくよろこびて、ほかに心に觸るゝもの一だになきごとくみゆ 一一五―一一七
我等すべてとゞまりて心を歌にとめゐたるに、見よ、かのけだかき翁さけびていふ。何事ぞ遲《おそ》き魂等よ 一一八―一二〇
何等の怠慢《おこたり》ぞ、何ぞかくとゞまるや、走《わし》りて山にゆきて穢《けがれ》を去れ、さらずば神汝等にあらはれたまはじ。 一二一―一二三
たとへば食をあさりてつどへる鳩の、聲もいださず、その習ひなる誇《ほこり》もみせで、麥や莠《はぐさ》の實を拾ふとき 一二四―一二六
おそるゝもののあらはるゝあれば、さきにもまさる願ひに攻められ、忽ち食を棄て去るごとく 一二七―一二九
かの新しき群《むれ》歌を棄て、山坂にむかひてゆきぬ、そのさま行けども行方《ゆくへ》をしらざる人に似たりき 一三〇―一三二
我等もまたこれにおくれずいでたてり 一三三―一三五
[#改ページ]
第三曲
彼等忽ち馳せ、廣野《ひろの》をわけて散り、理性に促《うなが》されて我等の登る山にむかへるも 一―三
我は身をわがたのもしき伴侶《とも》によせたり、我またいかで彼を觸れて走《わし》るをえんや、誰か我を導いて山に登るをえしめんや 四―六
彼はみづから悔ゆるに似たりき、あゝ尊き清き良心よ、たゞさゝやかなる咎もなほ汝を刺すこといかにはげしき 七―九
彼の足すべての動作《ふるまひ》の美をこぼつ急《いそぎ》を棄つれば、さきに狹《せば》まれるわが心 一〇―一二
さながら求むるものある如く思ひを廣くし、我はかの水の上より天にむかひていと高く聳ゆる山にわが目をそゝぎぬ 一三―一五
後方《うしろ》に赤く燃ゆる日は、わがためにその光を支《さ》へられて碎け、前方《まへ》にわが象《かたち》を殘せり 一六―一八
我わが前方《まへ》にのみ黒き地あるをみしとき、おのが棄てられしことを恐れてわが傍《かたへ》にむかへるに 一九―二一
我を慰むるもの全く我に對《むか》ひていふ。何ぞなほ疑ふや、汝はわが汝と共にありて汝を導くを信ぜざるか 二二―二四
わがやどりて影を映《うつ》せる身の埋《うづ》もるゝ處にてははや夕《ゆふ》なり、この身ナポリにあり、ブランディツィオより移されき 二五―二七
さればわが前に今影なしとも、こはたがひに光を堰《せ》かざる諸天に似てあやしむにたらず 二八―三〇
そも/\威力《ちから》はかゝる體《からだ》を造りてこれに熱と氷の苛責の苦しみを感ぜしむ、されどその爲す事の次第の我等に顯はるゝことを好まず 三一―三三
もし我等の理性をもて、三にして一なる神の踏みたまふ無窮の道を極めんと望むものあらばそのもの即ち狂へるなり 三四―三六
人よ汝等は事を事として足れりとせよ、汝等もし一切を見るをえたりしならば、マリアは子を生むに及ばざりしなるべし 三七―三九
また汝等は、己が願ひをかなふるにふさはしかりし人々にさへ、その願ふところ實を結ばず却つて永遠《とこしへ》に悲しみとなりて殘るを見たり 四〇―四二
わがかくいへるはアリストーテレ、プラトー、その外多くのものの事なり。かくいひて顏を垂れ、思ひなやみてまた言《ことば》なし 四三―四五
かゝるうちにも我等は山の麓に着けり、みあぐれば巖《いはほ》いと嶮しく、脛《はぎ》の疾《はや》きもこゝにては益なしとみゆ 四六―四八
レリーチェとツルビアの間のいとあらびいと廢《すた》れし徑《こみち》といふとも、これに此《くら》ぶれば、寛《ゆるや》かにして登り易き梯子《はしご》の如し 四九―五一
わが師歩みをとゞめていふ。誰か知る、山の腰低く垂れて翼なき族人《たびびと》もなほ登るをうるは何方《いづかた》なるやを。 五二―五四
彼顏をたれて心に路のことをおもひめぐらし、我はあふぎて岩のまはりをながめゐたるに 五五―五七
この時わが左にあらはれし一群《ひとむれ》の魂ありき、彼等はこなたにその足をはこべるも、來ることおそくしてしかすとみえず 五八―六〇
我曰ふ。師よ目を擧げてこなたを見よ、汝自ら思ひ定むるあたはずば彼等我等に教ふべし。 六一―六三
彼かれらを見、氣色《けしき》晴《はれ》やかに答ふらく。彼等の歩履《あゆみ》おそければいざ我等かしこに行かん、好兒《よきこ》よ、望みをかたうせよ。 六四―六六
我等ゆくこと千歩にして、かの民なほ離るゝこと巧みなる投手《なげて》の石のとゞくばかりなりしころ《六七》
彼等はみな高き岸なる堅き岩のほとりにあつまり、互ひに身をよせて動かず、おそれて道を行く人の見んとて止まる如くなりき 七〇―七二
ヴィルジリオ曰ふ。あゝ福《さいはひ》に終れるものらよ、すでに選ばれし魂等よ、我は汝等のすべて待望む平安を指して請ふ 七三―七五
我等に山の斜《なゝめ》にて上りうべきところを告げよ、そは知ることいと大いなる者時を失ふを厭ふことまたいと大いなればなり。 七六―七八
たとへば羊の、一づつ二づつまたは三づつ圈《をり》をいで、殘れるものは臆してひくく目と口を垂れ 七九―八一
而して最初の者の爲す事をばこれに續く者皆傚ひて爲し、かの者止まれば、聲なく思慮《こゝろ》なくその何故なるをも知らで、これが邊《あたり》に押合ふ如く 八二―八四
我はこの時かの幸《さち》多き群《むれ》の先手《さきて》の、容端《かたち》正《たゞしく》歩履《あゆみ》優《いう》にこなたに進み來るをみたり 八五―八七
さきに立つ者、わが右にあたりて光地に碎け、わが影岩に及べるをみ 八八―九〇
とゞまりて少しく後方《うしろ》に退《すさ》れば、續いて來れる者は故をしらねどみなかくなせり 九一―九三
汝等問はざるも我まづ告げむ、汝等の見るものはこれ人の體《からだ》なり、此故に日の光地上に裂く 九四―九六
あやしむなかれ、信ぜよ、天より來る威能《ちから》によらで彼この壁に攀《よ》ぢんとするにあらざるを。 九七―九九
師斯く、かの尊《たふと》き民|手背《てのおもて》をもて示して曰ふ。さらば身をめぐらして先に進め。 一〇〇―一〇二
またそのひとりいふ。汝誰なりとも、かく歩みつゝ顏をこなたにむけて、世に我を見しことありや否やをおもへ。 一〇三―一〇五
我即ちかなたにむかひ、目を定めて彼を見しに、黄金《こがね》の髮あり、美しくして姿けだかし、されど一の傷ありてその眉の一を分てり 一〇六―一〇八
我謙《へりく》だりていまだみしことなしとつぐれば、彼はいざ見よといひてその胸の上のかたなる一の疵を我に示せり 一〇九―一一一
かくてほゝゑみていふ。我は皇妃コスタンツァの孫マンフレディなり、此故にわれ汝に請ふ、汝歸るの日 一一二―一一四
シチーリアとアラーゴナの名譽《ほまれ》の母なるわが美しき女《むすめ》のもとにゆき、世の風評《さた》違はば實《まこと》を告げよ 一一五―一一七
わが身二の重傷《いたで》のために碎けしとき、われは泣きつゝ、かのよろこびて罪を赦したまふものにかへれり 一一八―一二〇
恐しかりきわが罪は、されどかぎりなき恩寵《めぐみ》そのいと大いなる腕《かひな》をもて、すべてこれに歸るものをうく 一二一―一二三
クレメンテに唆《そその》かされて我を狩りたるコセンツァの牧者、その頃神の聖經《みふみ》の中によくこの教へを讀みたりしならば 一二四―一二六
わが體《からだ》の骨は、今も重き堆石《つみいし》に護られ、ベネヴェントに近き橋のたもとにありしなるべし 一二七―一二九
さるを今は王土の外《そと》ヴェルデの岸邊《きしべ》に雨に洗はれ風に搖《ゆす》らる、彼|消《け》せる燈火《ともしび》をもてこれをかしこに移せるなり 一三〇―一三二
それ望みに緑の一點をとゞむる間は、人彼等の詛ひによりて全く滅び永遠《とこしへ》の愛歸るをえざるにいたることなし 一三三―一三五
されどげに聖なる寺院の命に悖《もと》りて死する者、たとひつひに悔ゆといへども、その僭越なりし間の三十倍の時過ぐるまで 一三六―一三八
必ず外《そと》なるこの岸にとゞまる、もし善き祈りによりて時の短くせらるゝにあらずば 一三九―一四一
請ふわが好《よ》きコスタンツァに汝の我にあへる次第とこの禁制《いましめ》とをうちあかし、汝がこの後我を悦ばすをうるや否やを見よ 一四二―一四四
そはこゝにては、世にある者の助けによりて、我等の得るところ大なればなり。 一四五―一四七
[#改ページ]
第四曲
心の作用《はたらき》の一部喜びまたは憂ひを感ずる深ければ、魂こと/″\こゝにあつまり 一―三
また他の能力《ちから》をかへりみることなしとみゆ、知るべし、我等の内部《うち》に燃ゆる魂、一のみならじと思ふは即ち誤りなることを 四―六
この故に聞くこと見るもの、つよく魂をひきよすれば、人時の過ぐるを知らず 七―九
そは耳をとゞむる能力《ちから》は魂を全く占《し》むる能力《ちから》と異なる、後者はその状《さま》繋《つな》がるゝに等しく前者には紲《きづな》なし 一〇―一二
我かの靈のいふところをきき且つはおどろきてしたしくこの事の眞《まこと》なるをさとれり、そは我等かの魂等が我等にむかひ 一三―
聲をあはせて、汝等の尋ぬるものこゝにありと叫べる處にいたれる時、日はわがしらざる間に裕《ゆたか》に五十を上《のぼ》りたればなり ―一八
葡萄黒むころ、たゞ一|束《たば》の茨《いばら》をもて、村人《むらびと》の圍《かこ》ふ孔《あな》といふとも、かの群《むれ》我等をはなれし後 一九―
導者さきに我あとにたゞふたり登りゆきし徑路《こみち》よりは間々《まま》大いなるべし ―二四
サンレオにゆき、ノーリにくだり、ビスマントヴァを登りてその頂にいたるにもただ足あれば足る、されどこゝにては飛ばざるをえずと 二五―二七
即ち我に望みを與へ、わが光となりし導者にしたがひ、疾き翼深き願ひの羽を用ゐて 二八―三〇
我等は碎けし岩の間を登れり、崖《がけ》左右より我等に迫り、下なる地は手と足の助けを求めき 三一―三三
我等高き陵《をか》の上縁《うはべり》、山の腰のひらけしところにいたれるとき、我いふ。わが師よ、我等いづれの路をえらばむ。 三四―三六
彼我に。汝一歩をも枉ぐるなかれ、さとき嚮導《しるべ》の我等にあらはるゝことあるまで、たえず我に從ひて山を登れ。 三七―三九
巓《いただき》は高くして視力及ばず、また山腹は象限《しやうげん》の中央《なかば》の線《すぢ》よりはるかに急なり 四〇―四二
我疲れて曰ふ。あゝやさしき父よ、ふりかへりて我を見よ、汝若しとゞまらずば、我ひとりあとに殘るにいたらむ。 四三―四五
わが子よ、身をこの處まで曳き來れ。彼は少しく上方《うへ》にあたりて山のこなたをことごとくめぐれる一の高臺《パルツオ》を指示しつゝかくいへり 四六―四
前へ
次へ
全40ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山川 丙三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング