Jエサルとポムペイウスの間に戰ひありし時前者の勝を豫言せりといふ
【ルーニ】イタリアの西北海岸マーグラの河口に近き町、この町今は僅かに荒廢の跡をとゞめ名はこの地方の總稱なるルーニジアーナとなりて存するに過ぎず、ルーニの山はカルラーラの山をも含むなり
四九―五〇
【大理石】カルラーラの大理石坑はローマ時代よりすでに世に知られたりといふ
五五―五七
【マント】ティレージア(四〇行)の女
【わが生れし處】マントヴァ市をいへりされどウェルギリウスの生れし處はマントヴァ市の附近なるアンデスなり
五八―六〇
【バーコの都】酒神バッコスを守護神とせる町、乃ちテバイ、エテオクレス兄弟の死後(地、二六・四九―五四註參照)クレオンなる者テバイを治めて虐政を布きテバイはたゞ屈從を事とせるのみ
六一―六三
【上なる】地獄に對して世界を上といふ
【ティラルリ】ガルダ潮の北方メラーノに近き城、もとドイツ領たり、アルピ連峰の一部此上に聳ゆ、湖上最初のドイツの城なれば獨逸(ラーマニア)を閉すといへるなり
【ベナーコ】今のガルダ湖
六四―六六
【ガルダ】湖東の城
【ヴァル・カーモニカ】湖水の西北にあたる溪、延長五十餘哩
【アペンニノ】異本ペンニノとあり、ガルダ湖附定の連山を指せるならんも不明なり、所謂アペンニノ連峰にはあらず
六七―六九
【一の處】不明、或ひはフラーチと稱する一小島なりといひ或ひはチニアールガの河口といひ或ひは想像の一地點に過ぎすといふ、此處はトレント(湖北)、ブレシヤ(湖西)、ヴェロナ(湖東)の牧者の管轄地互に境を接する處なれば三の中いづれの管轄地より來る僧もこゝに立ちて十字を截りてわが牧する民に祝福を授くることを得べし(僧の公けに祝福を授くることは己が管轄地内にのみなしうべき定めあればなり)
七〇―七二
【ペスキエーラ】ガルダ湖の南端にあるヴェロナ人の城
【ベルガーモ】ブレシヤの西にあり
七六―七八
【ゴヴェルノ】今ゴヴェルノロといふ、ミンチョの右側にある邑
七九―八一
【夏は】夏時往々地乾き汚水處々に停滯して市民の衞生を害することあり
九一―九三
【占】昔土地に新に名をつくる時は卜筮によりてその名をえらぶ習ありきといふ
【マンツア】マントヴァ
九四―九六
【カサロディ】ブレシヤの一城主カサロディ家のアルベルト伯なる者マントヴァに君たりし時(一二七〇年頃)この地の名族ピナモンテ・デ・ボナーコルシ、市の平和の爲と稱しアルベルトに勸めてまづ多くの貴族を市外に逐はしめ後遂にアルベルトを逐ひ自らマントヴァの君となれり
九七―九九
【由來】『アエネイス』一〇の一九八以下には
オクヌスもまた一隊を率ゐて故國の岸より來れり、彼は卜者マントとエトルリアの川(テーヴェレ川)の間の子にて、マントヴァよ、汝に石垣と母の名を與へし者なり
とあり、ダンテの説とウェルギリウスの説に多少の差あること知るべし、思ふに或人の云へる如くダンテは當時の傳説若しくは記録に據りて一種の由來説を得たればこゝにウェルギリウスの口を借りてかく陳ぶるに至れるならむ
一〇六―一〇八
【男子なく】丈夫悉くトロイアの戰ひに赴き幼兒新に生るゝことなければ搖籃多くは空しきなり
一〇九―一一一
【卜者】ギリシア軍中の卜者エウリピロス
【カルカンタ】同じくギリシア軍中の卜者
【アウリーデ】アウリス。ギリシア軍のトロイアにむかひて船出せし港
一一二―一一四
【悲曲】『アエネイス』。これを悲曲といへるは詩材文體の高逸なるによりてなり(ダンテの『デ・ウルガーリ・エーロクエンチァー』二、四の三八以下)
【いづこにか】二の一一四以下
『アエネイス』にはたゞ反間者シノンの詞の中ギリシア軍がトロイアを去らんとしてエウリピロスにアポロンの宣託を受けしめし事あるのみアウリス解纜に關しては何等の記事なし、されば或人はこゝにかく歌へるといへるは彼の卜者なることを歌へる意に外ならずと解せり
一一五―一一七
【ミケーレ・スコット】スコットランドの人、十三世紀の始めローマ皇帝フリートリヒ二世の朝に仕へて妖術を行へりといふ
一一八―一二〇
【グイード・ボナッティ】イタリア、フォルリの星學者(十三世紀の後半)
【アスデンテ】イタリアのパルマ市の靴師、マエストロ・ベンヴェヌートといひアスデンテはその綽名なり、本業の傍卜筮を習ひ遂には卜者として世に知らるゝにいたれり(十三世紀の半)
一二一―一二三
【草】或種類の草の液を用ゐて術を行ふこと、オウィディウスの『メタモルフォセス』第七卷(二三二行以下)にメデイアがイアソンの父を若返らしめんとて多くの奇しき草を集め根を煎じてその液を用ゐしこといづ
【偶人】人の形を蝋の類にて作り或ひは火にかけ或ひは頸に針を打ちて術を行ふこと
一二四―一二六
【カイーノと茨】月
月の斑點の形人に似たるより古の俗説にこはカイン(カイノ)(創世記第四章始め)が賞罰をうけ神に顧みられざりし野の植物を肩にして立てる姿なりといへるによれり(天、二・五以下參照)
【南半球】南半球は聖都イエルサレムと淨火の山を二個の頂點としイスパニアとインドの一部を境として分割せる南北二個の半球(三二六頁插圖參照)、その境を占むるは地平線にかゝるなり
【ソビリア】ゾビリア、イスパニアの西南にある町、月の沈むは年前六時頃
一二七―一二九
【昨夜】四月八日の前の夜にてこの時よりいへば一昨夜なり
【しば/\】しば/\路を照して


    第二十一曲

かくて第五嚢の上にいたれば下には煮ゆる脂たゝへ公私の職を利用して己の慾をはかれる者其中に沈めらる、ウェルギリウス、ダンテを岩蔭にかくし自らまづ進みて第六の堤に達し鬼の長マラコダとかたり後ダンテを呼びて一群の鬼と共に左に堤を傳ふ
一―三
【コメディア】地、一六・一二七―九註參照
七―九
【船廠】ヴェネツィア市の東端にあり、中古、世に名高き船廠なりしといふ
一〇―一二
【彼等】ヴェネツィア人
三七―四二
或ひは、彼いふ我等の橋のマーレブランケよ
【マーレブランケ】(禍ひの爪)第五嚢を守る鬼の總稱
【聖チタ】ルッカ市
聖チタは一二一八年ルッカの西北約五十哩にあるボントレモリの附近に生れ無垢の一生をルッカに送り一二七二年に死せる比丘尼の名なり、ルッカの人々特に尊び敬ふをもて町の名の代りとす
【アンチアン】ルッカ市の行政官、十人あり
【ボンツーロ】一四世紀の始めルッカ民黨の首領となれるものにて古註に汚吏の隨一とあり、外は反語なり
【否、然】ラーナの古註に曰、ルッカの公會にては議事の採決をなすにあたり二個の投票箱を會場に持來り其一には然の投票を入れしめ他には否を入れしむる例あり、かゝる時黄白のために心迷へる議員等否の投票をなすべき場合にも然をもて之に代らしむること屡※[#二の字点、1−2−22]ありと
四六―四八
【聖顏】「サント・ヴォルト」は昔東方より傳來しルッカ市聖マルチーノの禮拜堂に安置せられし木製十字架上のキリストなり、ラーナ曰、ルッカの人冥助を祈ることあれば、サント・ヴォルトよ今我を助けたまへといふを例とせりと
橋下の鬼等かの罪人が背を脂の外にあらはし恰も神前にぬかづく如くなるをみて嘲りてかくいへるなり
四九―五一
【セルキオ】ルッカの附近を流るゝ川、ルッカの人々夏の日よくこの河水に浴せりといふ
五二―五四
【盜みうべくば】脂の上に浮くべき機會を
五五―五八
【厨夫が庖仕に】厨人(くりやびと)がその下廻りに(改譯より)
六一―六三
【さきにも】地、九・二二以下參照
七六―七八
【マラコダ】(禍ひの尾)第五嚢の鬼の長
七九―八四
【我等を】異本、我を
九四―九六
【契約】生命の安全を降服の條件として
【カープロナ】アルノ河畔にありしピサ人の城、一二八九年八月ルッカとフィレンツェの同盟軍攻めて之を陷る、ダンテは戰鬪員としてフィレンツェの軍中にありしかばピサの歩兵の敵前を通過するさまを此時したしくみしならんといふ
一〇九―一一一
【石橋あり】マラコダの虚言、策六嚢にては壞れざる橋一もなきなり(地、二三及び二四)
一一二―一一四
地獄内なる岩の崩れはキリスト磔殺の當時に起れり(地、一二・三七以下)而してダンテの信ずる所によるにキリストの死せしはその三十四歳の時の聖金曜日なり(『コンヴィヴィオ』四・二三の九五より一〇七まで)、今、中古の計算に從ひ三十四年に一二六六年を如ふれば即ち神曲示現の年なる一三〇〇年を得べし、聖金曜日はダンテの地獄に入りし初めの日なれば一夜を其中に過して今は昨日となれるなり、またキリストの息絶えし時即ち第六時(ルカ、二三・四四)をダンテは正午と解したれば(『コンヴィヴィオ』四・二三、一〇七)これより五時を引去る時は朝の約七時となる、さればマラコダの兩詩人とかたれるは一三〇〇年型金曜日の翌日(四月九日)午前七時の頃なりとしるべし
一一八―一二三
ダンテが一々鬼に名を附せしはこの後起らんとする事柄を明瞭に讀者の腦裡に印せんとするにあり、されど此等の名をえらぶにあたりていくばくの用意ありしやあきらかに知り難し、この中には翼犬鬚龍等を編込めるもあれどもまた音調以外に何等の摸索し得べきものなきもあり。おもふに附會の説によりてしひて解釋を求むるは詩人の本意にあらざるべし、また此等の名は詩人時代のフィレンツェの行政官或ひは黒黨の首領等の名を巧みに作り變へしものなりとのロセッティの説は一部のダンテ學者の認むるところなれどもダンテがかゝる姑息の手段によりてその欝憤を洩せりとは信じ難きに似たり
一二四―一二六
【岩窟】すべての溪(十の嚢)をいふ
一三六―一三六
【齒にて】兩詩人の欺かるゝを嘲り長と相圖をあはせしなり


    第二十二曲

兩詩人と共に堤をゆける鬼脂の中よりチヤムポロなる者をとらへ岸に引上げて之を苛責す、この者詩人等に己とその侶の事を告げし後鬼を欺いて再び脂に沈み遂に鬼と鬼との爭を惹起すにいたれり
一―三
【軍を整へ】或ひは、兵を閲し
四―九
【アレッツォ】カムバルディーノ(アレッツォ市の北アルノの溪の戰場なり、一二八九年アレッツォ人こゝにフィレンツェ軍と戰ひて敗る)の戰ひの折を指せるならん、ダンテはこの時フィレンツェ騎兵の中に加はりゐたりといへば
【鐘】フィレンツェ人戰時にマルチネルラと名づくる巨鐘を鳴らし後之を戰場に曳きゆきその響きによりて士氣を鼓舞するを例とせりといふ
【城の相圖】晝は旗または烟、夜は烽火
【物】樂器
【軍、軍と】torneamenti は馬上の競技、組に分れて行ふもの
【兵、兵と】giostra 同上、一騎打
一〇―一二
【笛】cennamella 戰時に用ゐし笛の一種、奇しき笛は肛門の喇叭(地、二一・一三九)と同じ
一九―二一
海豚が背を水上にあらはして船を追來るは海に嵐起る前兆なりといふ事此頃一般に信ぜられきといふ
三七―三九
【えらばれし】マラコダに(地、二一・一一八―二三)
四六―四八
【我】古註にナヴァルラのチャムポロなりとあり、傳不詳
【ナヴァルラ】ナヴァール、イスパニアの東北にあり
四九―五二
【身】身を失へるは自殺せるをいふ
五二―五四
【テバルド】ナヴァルラ王テバルド二世(一二五三―一二七〇年間王たり)を指せるなるべしといふ
【債を償ふ】rendo ragione ムーアの引照せるルカ、一六・二には rendi ragione del tuo governo とあり
六四―六九 
或ひは、導者すなはち(曰ふ)いざ告げよ脂の下なる罪人の中汝の識れるラチオの者ありや
【ラチオの者】イタリアの者。ラチオ(ラティウム)はローマを含めるイタリア一部の古名
【隣の者】イタリアに隣れるサールディニア島の者
七九―八四
【ガルルーラ】一〇一七年ピサ人サールディニアをサラセン人より奪ひ之を四州に分つ、ガルルーラはその一にして島の東北にあり
【ゴミータ】サールディニアの人、ガルルーラ州の知事なるウゴリーノ(或ひはニーノ)ヴィスコンティに仕へ祕書官となりてその信任を得たり、會※[#二の字点、1−2−22]ニーノ敵を攻め多くの捕虜を得て之を獄に下せることあり
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