、この暗き溪の中にあまたの束《たば》をなして衰へゆく魂を見る悲しみにまさらじ ―六六
ひとりは俯《うつむ》きて臥し、ひとりは同囚《なかま》の背にもたれ、ひとりはよつばひになりてこの悲しみの路をゆけり 六七―六九
我等は病みて身をあぐるをえざる此等の者を見之に耳をかたむけつつ言《ことば》はなくてしづかに歩めり 七〇―七二
こゝにわれ鍋の鍋に凭《もた》れて熱をうくる如く互に凭れて坐しゐたる二人《ふたり》の者を見き、その頭より足にいたるまで瘡斑點《かさまだら》をなせり 七三―七五
その痒きことかぎりなく、さりとてほかに藥なければ、彼等はしば/\おのが身を爪に噛ましむ 七六―
主《きみ》を待たせし厩奴《うまやもり》または心ならず目を覺《さま》しゐたる僕の馬梳《うまぐし》を用ふるもかくはやきはいまだみず ―八一
爪の痂《かさぶた》を掻き落すことたとへば庖丁の鯉またはこれより鱗大なる魚の鱗をかきおとすごとくなりき 八二―八四
わが導者そのひとりにいひけるは、指をもて鎧を解きかくしてしば/\これを釘拔にかゆる者よ 八五―八七
この中《なか》なる者のうちにラチオ人《びと》ありや我等に告げよ、(かくて願はくは汝の爪|永遠《とこしへ》にこの勞《いたづき》に堪へなんことを) 八八―九〇
かの者泣きつゝ答へて曰ひけるは、かく朽果てし姿をこゝに見する者はともにラチオ人なりき、されど我等の事をたづぬる汝は誰ぞや 九一―九三
導者曰ふ、我はこの生くる者と共に岩また岩をくだるものなり、我彼に地獄を見せんとす 九四―九六
この時互の支《さゝへ》くづれておの/\わなゝきつゝ我にむかへり、また洩れ聞けるほかの者等もかくなしき 九七―九九
善き師身をいとちかく我によせ、汝のおもふことをすべて彼等にいへといふ、我乃ちその意に從ひて曰ひけるは 一〇〇―一〇二
ねがはくは第一の世にて汝等の記憶人の心をはなれず多くの日輪の下にながらへんことを 一〇三―一〇五
汝等誰にて何の民なりや我に告げよ、罰の見苦しく厭はしきをおもひて我に身を明《あ》かすをおそるゝなかれ 一〇六―一〇八
そのひとり答へて曰ふ、我はアレッツオの者なりき、アールベロ・ダ・シエーナによりてわれ火にかゝるにいたれるなり、然《され》ど 一〇九―
我をこゝに導けるは我を死なしめし事に非ず、我戲れに彼に告げて空飛ぶ術《すべ》をしれりといひ、彼はまた事を好みて智乏しき者なりければこの技《わざ》を示さん事を我に求め、たゞわが彼をデーダロたらしめざりし故により彼を子となす者に我を燒かしめしは實《まこと》なり ―一一七
されど過つあたはざるミノスが我を十の中なる最後の嚢《ボルジヤ》に陷らしめしはわが世に行へる錬金の術によりてなりき 一一八―一二〇
われ詩人に曰ひけるは、そも事を好むシエーナ人の如き民かつて世にありしや、げにフランス人《びと》といへどもはるかにこれにおよばじ 一二一―一二三
此時いまひとりの癩を病める者かくいふをきゝてわが言に答へて曰ひけるは、費《つひえ》を愼しむ術《すべ》しれるストリッカ 一二四―
丁子《ちやうじ》の實《み》ねざす園の中にその奢れる用《もちゐ》をはじめて工夫《くふう》せしニッコロを除け ―一二九
また葡萄畑と大なる林とを蕩盡《つかひはた》せしカッチア・ダシアーンおよびその才を時めかせしアツバリアート等の一隊を除け 一三〇―一三二
されどかく汝に與してシエーナ人にさからふ者の誰なるやをしるをえんため、目を鋭くして我にむかへ、さらばわが顏よく汝に答へ 一三三―一三五
汝はわが錬金の術によりて諸※[#二の字点、1−2−22]の金《かね》を詐り變へしカポッキオの魂なるをみん、またわが汝を見る目に誤りなくば、汝は思ひ出づるなるべし 一三六―一三八
我は巧みに自然を似せし猿《ましら》なりしを 一三九―一四一
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   第三十曲

テーベの血セーメレの故によりユノネの怒りに觸れし時(その怒りをあらはせることしば/\なりき) 一―三
いたく狂へるアタマンテはその妻が二人《ふたり》の男子《をとこのこ》を左右の手に載せてゆくを見て 四―六
我等網を張らむ、かくしてわれ牝獅子と獅子の仔をその路にてとらへんとさけび、非情の爪をのばし 七―九
そのひとり名をレアルコといへるを執らへ、ふりまはして岩にうちあて、また女は殘れる荷をもて自ら水に溺れにき 一〇―一二
また何事をもおそれず行へるトロイア人《びと》の僭上命運の覆すところとなりて、王その王土と共に亡ぶにいたれる時 一三―一五
悲しき、あぢきなき、囚虜《とらはれ》の身のエークバは、ポリッセーナの死せるをみ、またこのなやめる者その子ポリドロを 一六―
海のほとりにみとめ、憂ひのために心亂れ、その理性《さとり》をうしなひて犬の如く吠えたりき ―二一
されど物にやどりて獸または人の身を驅るテーベ、トロイアの怒りの猛きも 二二―
わが蒼ざめて裸なる二の魂の中にみし怒りには及ばじ、彼等は恰も欄《をり》を出でたる豚の如く且つ噛み且つ走れり ―二七
その一はカポッキオにちかづき、牙を項《うなじ》にたてゝ彼を曳き、堅き底を腹に磨《す》らしむ 二八―三〇
震ひつゝ殘れるアレッツオの者我に曰ひけるは、かの魔性の魑魅《すだま》はジャンニ・スキッキなり、狂ひめぐりてかく人をあしらふ 三一―三三
我彼に曰ふ、(願はくはいま一の者汝に齒をたつるなからんことを)請ふ此者の誰なるやをそのはせさらぬまに我に告げよ 三四―三六
彼我に、こはいとあしきミルラの舊《ふり》し魂なり、彼正しき愛を超えてその父を慕ひ 三七―三九
おのれを人の姿に變へてこれと罪を犯すにいたれり、あたかもかなたにゆく者が 四〇―
獸の群の女王をえんとて己をブオソ・ドナーティといつはり、その遺言書《ゆゐごんしよ》を作りてこれを法例《かた》の如く調《とゝの》ふるにいたれるに似たり ―四五
狂へる二の者過ぎ去りて後、我は此等に注げる目をめぐらし、ほかの幸《さち》なく世に出でし徒《ともがら》を見たり 四六―四八
我見しにこゝにひとり人の叉生《またさ》すあたりより股の附根《つけね》を切りとるのみにて形琵琶に等しかるべき者ありき 四九―五一
同化しえざる水氣によりて顏腹と配《そ》はざるばかりに身に權衡《けんかう》を失はせ、また之を重からしむる水腫《すゐしゆ》の病は 五二―五四
たえずその唇をひらかしめ、そのさまエチカをやめる者の渇きて一を頤《おとがひ》に一を上にむくるに似たりき 五五―五七
彼我等に曰ふ、あゝいぶかしくも苦患《なやみ》の世にゐて何の罰をもうけざる者よ、心をとめてマエストロ・アダモの幸なきさまを見よ 五八―
生ける時は我ゆたかにわが望めるものをえたりしに、いまはあはれ水の一滴《ひとしづく》をねぎもとむ ―六三
カセンティーンの緑の丘《をか》よりアルノにくだり、水路涼しく軟かき多くの小川は 六四―六六
常にわがまへにあらはる、またこれ徒《いたづら》にあらず、その婆の我を乾すことわが顏の肉を削《そ》ぐこの病よりはるかに甚しければなり 六七―六九
我を責むる嚴《おごそか》なる正義は、我に歎息《ためいき》をいよ/\しげく飛ばさしめんとてその手段《てだて》をわが罪を犯せる處に得たり 七〇―七二
即ちかしこにロメーナとてわがバッティスタの像《かた》ある貨幣《かね》の模擬《まがひ》を造り、そのため燒かれし身を世に殘すにいたれる處あり 七三―七五
されど我若しこゝにグイード、アレッサンドロまたは彼等の兄弟の幸《さち》なき魂をみるをえばその福《さいはひ》をフォンテ・ブラングにもかへじ 七六―七八
狂ひめぐる魂等の告ぐること眞《まこと》ならば、ひとりはすでにこの中にあり、されど身|繋《つな》がるゝがゆゑに我に益なし 七九―八一
たとひ百年《もゝとせ》の間に一|吋《オンチヤ》をゆきうるばかりなりともこの身輕くば、この處|周圍《めぐり》十一|哩《ミーリア》あり 八二―八四
幅半哩を下らざれども、我は既に出立ちて彼をこの見苦しき民の間に尋ねしなるべし 八五―八七
我は彼等の爲にこそ斯かる家族《やから》の中にあるなれ、我を誘ひて三カラートの合金《まぜがね》あるフィオリーノを鑄らしめしは乃ち彼等なればなり 八八―九〇
我彼に、汝の右に近く寄りそひて臥し、冬の濡手《ぬれて》のごとく烟《けぶ》るふたりの幸なき者は誰ぞや 九一―九三
答へて曰ふ、我この巖間《いわま》に降《ふ》り下れる時彼等すでにこゝにありしが其後一|度《たび》も身を動かすことなかりき、思ふに何時《いつ》に至るとも然《しか》せじ 九四―九六
ひとりはジユセッポを讒《しこづ》りし僞りの女、一はトロイアにありしギリシア人《びと》僞りのシノンなり、彼等劇しき熱の爲に臭き烟を出すことかく夥《おびたゞ》し 九七―九九
この時そのひとり、かくあしざまに名をいはれしを怨めるなるべし、拳《こぶし》をあげて彼の硬き腹を打ちしに 一〇〇―一〇二
その音恰も太鼓の如くなりき、マエストロ・アダモはかたさこれにも劣らじとみゆるおのが腕をもてかの者の顏を打ち 一〇三―一〇五
これにいひけるは、たとひこの身重くして動くあたはずともかゝる用《もちゐ》にむかひては自在の肱《かひな》我にあり 一〇六―一〇八
かの者即ち答へて曰ふ、火に行ける時汝の腕かくはやからず、貨幣《かね》を造るにあたりてはかく早く否これよりも早かりき 一〇九―一一一
水氣を病める者、汝のいへるは眞《まこと》なり、されどトロイアにて眞を問はれし時汝はかかる眞の證人《あかしびと》にあらざりき 一一二―一一四
シノネ曰ふ、我は言《ことば》にて欺けるも汝は貨幣《かね》にて欺けるなり、わがこゝにあるは一《ひとつ》の罪のためなるも汝の罪は鬼より多し 一一五―一一七
腹|脹《ふく》るゝ者答へて曰ふ、誓ひを破れる者よ、馬を思ひいで、この事全世界にかくれなきをしりて苦しめ 一一八―一二〇
ギリシアの者曰ふ、汝はまた舌を燒くその渇《かわき》と腹を目の前の籬《まがき》となすその腐水《くさりみづ》のために苦しめ 一二一―一二三
この時|贋金者《にせがねし》、汝の口は昔の如く己が禍ひのために開《あ》く、我渇き水氣によりて膨るるとも 一二四―一二六
汝は燃えて頭いためば、もしナルチッソの鏡だにあらば人のしふるをもまたで之を舐《ねぶ》らむ 一二七―一二九
我は彼等の言をきかんとのみ思ひたりしに、師我に曰ふ、汝少しく愼しむべし、われたゞちに汝と爭ふにいたらん 一三〇―一三二
彼怒りをふくみてかく我にいへるをきける時我は今もわが記憶に渦《うづま》くばかりの恥をおぼえて彼の方にむかへり 一三三―一三五
人凶夢を見て夢に夢ならんことをねがひ、すでに然るを然らざるごとく切《せち》に求むることあり 一三六―一三八
我亦斯くの如くなりき、我は口にていふをえざれば、たえず詫《わ》びつゝもなほ詫びなんことを願ひてわが既にしかせるを思ふことなかりき 一三九―一四一
師曰ふ、恥斯く大いならずともこれより大いなる過ちを洗ふにたる、されば一切の悲しみを脱れよ 一四二―一四四
若し民かくの如く爭ふところに命運汝を行かしむることあらば、わが常に汝の傍にあるをおもへ 一四五―一四七
かゝる事をきくを願ふはこれ卑しき願ひなればなり 一四八―一五〇
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   第三十一曲

同じ一の舌なれども先には我を刺して左右の頬を染め、後には藥を我にえさせき 一―三
聞くならくアキルレとその父の槍もまたかくのごとく始めは悲しみ後は幸ひを人に與ふる習ひなりきと 四―六
我等は背を幸《さち》なき大溪にむけ、之を繞れる岸の上にいで、言《ことば》も交《まじ》へで横ぎれり 七―九
さてこの邊《あたり》は夜たりがたく晝たりがたき處なれば、我は遠く望み見るをえざりしかど、はげしき雷《いかづち》をも微《かすか》ならしむるばかりに 一〇―
角笛《つのぶえ》高く耳にひゞきて我にその行方《ゆくへ》を溯りつゝ目を一の處にのみむけしめき ―一五
師《いくさ》いたましく敗れ、カルロ・マーニオその聖軍を失ひし後のオルラントもかく
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