Bの甥コルラディーノ(コンラッド)なほ干戈を用ゐてこれに當りしかばシャルルはその軍師老エーラルの謀に從ひ軍を三手に分け、まづ二手をもてコルラディーノを迎へしむ、かくて一二六八年ターリアコッツォのあたりに激戰あり敵軍勝に乘じて戰場に散亂す、シヤルルこの機をうかゞひ軍を收めてこれを殘しおきし一手の兵と合し不意に敵を襲ひ大いにこれを敗りコルラディーノを虜にす、ベネヴェントの戰ひと共に世これを稱してアンジュウの亂といふ
二二―二四
【中板、端板】mezzul は樽の底三枚の板のうち中央にある物 lulla は同じく兩端にある物
三一―三三
【マオメット】マホメット。イスラム教の教祖、紀元五六〇年アラビアのメッカに生れ同六三三年メヂナに死す、ダンテは宗教の分爭を釀せる者としてこゝにこの偉人を罰せり
【アーリ】マホメットの從兄弟にして且つその筋なりし者(五九七―六六〇年)
三七―四二
【裝ふ】或ひは、傷つく、截る
四三―四五
【自白】ミノスの前にて告白せる罪(地、五・七―八參照)
五五―六〇
【フラー・ドルチン】ドルチーノ。有名なる使徒派の管長、一二九六年使徒派(寺院を使徒時代の状態に復歸せしむとの主義によりてかく名づけしなり)の長となりその勢力次第にトレント、ブレッシア、ベルガーモ等の諸處に及ベり、法王クレメンス五世令旨を下し十字軍を起してこれを攻む、ドルチーノ、ヴァル・セシアにて久しくこの軍と對峙し一三〇六年五千の宗徒を率ゐてノヴァーラとヴェルチェルリ兩市の間の山地に籠れり、一三〇七年三月にいたり糧の乏しきと雪の大いなるため遂に法王の軍に降り同年六月ヴェルチェルリに於て火刑に處せらる
【ノヴァーラ人】十字軍に加はれる
六一―六三
カーシーニ(T. Casini)曰、この一聯はマホメットの人に後れざらんため早口にかたりて去れるを示すと
七三―七五
【ヴェルチェルリ、マールカーボ】ヴェルチェルリはピエーモンテ州の一市、マールカーポはポーの河口に近きラヴェンナの一城なり、故にこゝに所謂麗しき野はアルピの麓よりアドリアティコの海岸にわたりて次第に傾斜する一帶の曠野即ちロムバルディアを指せるなり
【ピエール・ダ・メディチーナ】ローマニア各市を歴遊してその侯伯等の間に爭亂の種を蒔ける者、傳不詳
メディチーナはボローニア、イモラ兩市の間にあり、或曰、ピエールはこの邑を治めしカッターニ家の
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