テ殺者を逆さにして地に掘れる穴にいれ土塊を投じて次第に穴を埋めしことあり、かゝる刑に處せられし罪人が既に穴に入りたる後懺悔僧を呼戻して罪を告白し暫しの命を延べんとせしこと珍らしからずこれ懺悔の間は刑吏土塊を投ずることなければなりと
五二―五四
【彼】ニコラウス(ニコロ)三世、一二七七年より一二八〇年まで法王たり
【ボニファーチョ】ボニファキウス八世、一二九四年より一三〇三年まで法王たり
【書】未來記
ニコラウスはダンテをボニファキウス八世と誤り思へるなり、ボニファキウスの死は一三〇三年にてニコラウスは地獄の罪人の未來をしる例によりてこれを知りゐたるに今は一三〇〇年なればかくいへり
五五―五七
【欺いて】謀を以てチェレスティーノ(ケレスティヌス)五世に法王の位を退かしめしをいふ(地、三・五八―六〇註參照)
【淑女】寺院、淑女をとらふは法王となること
【虐ぐ】シモニアを行ひて
七〇―七二
【牝熊の仔】オルシーニ家の出
ローマのオルシーニ家は家紋に牝熊(オルサ)を用ひ古くより牝熊の裔の名ありきといふ
【上には】世にある日は財貨を嚢に入れ地獄にくだりてはわが身を嚢(孔)に入る
【熊の仔等】一門
七六―七八
ボニファキウス來らば我もこの孔の下に沈みゆくべし
七九―八一
ニコラウスのこの時まで足をさらせし日の數はボニファキウスの足をさらすべき日の數より多し
ニコラウスは一二八〇年の八月より一三〇〇年の四月までボニファキウスは一三〇三年の十一月より一三一四年の四月まで
スカルタッツィニ曰、ダンテ若し史實に據りてかくいひしならば『神曲』のこの一部の一三一四年四月以後に成れるものなること知るべしと
八二―八四
【牧者】法王クレメンス五世、一三〇五年ベネデクトゥス十一世(一三〇三年ボニファキウスに次ぎて法王となり、在位九ケ月にして死す)の後を承け一三一四年四月に死す
【西の方より】クレメンスはガスコニー(フランス)の生れにてボルドー(フランス)の僧正なりければ
【法を無みし】法王廳をローマよりフランスのアヴィニォンに移せるは彼なり。またシモニアを行ひ性貪婪にして放縱なりきといふ
八五―八七
【ヤーソン】イアソン、ユダヤの祭司の長なるシモン二世の子、シリア王アンティオコスに金を與ふることを約して祭司の長となれり(マッカベエイ後、四―五章)
クレメンスがフランス王フィリップ四世の歡心を買ひ
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