《うち》に大衆を飽満させて行った。見る間に純文学の滅亡を叫ばしむるに到った。
 一種の国産品の大量生産……それが現在の大衆読物の氾濫ではあるまいか。
 しかもその国産品の氾濫も最早《もはや》、行き詰まりかけているのではあるまいか。

 多量の雑誌が出て来て、それがドシドシ売れて行く。読者は皆、芸術鑑賞の紋付《もんつき》袴《はかま》で読む事を好まない。仰向けに引っくり返って、安易な夢を逐《お》おうとしている事がわかればあとは、材料の安価と、商品化の手軽さが問題になって来るばかりである。
 真剣な作家の真剣な作品を、骨を折って集めるのは馬鹿馬鹿しい事になって来る。ヨタでも焼直しでも何でもいい、読者がちょっと面白がりさえすればいいという事になって来る。そこいらのゴミ溜《ため》や、よその畠から失敬して来た材料にアニリン塗料とサッカリンで色と味を附けた、ちょっと口あたりのいい料理を作るのが芸術界の大勢になって来る。あとで庖丁を入れられたり、味加減をされたりしても決して文句を云わない。云わば扱い易い料理人が到る処にウヨウヨ出て来る。
 高価《たか》い金を払って、三拝九拝しても芸術的な作品しか作り得ない、ちょっと給仕人が手加減を加えても、直ぐに尻を捲くってムクレ返るような旧式の板前は、見る見る路頭に迷い初めた。

 しかし読者の味覚は案外に敏感なものである。日増しの材料とアニリン塗料と、サッカリンの味とにいつとなく飽きて来る。もっと生きのいいビタミンに満ち満ちたものが、云わず語らずの中《うち》に慾求されて来る。
 実話の流行、新進作家の濫造、座談会の隆盛が、この慾求を満たすべく現われ初めたが、これとてもアニリン、サッカリンで味を占めた店は、真剣なものを作ろうとしない。彼等はお客を馬鹿にして金を儲ける道を知り過ぎている。それがホントの金儲けとさえ信じている向きもある位、資本主義社会の悪習に慣れている。やはりアニリン、サッカリン趣味の名だけの新進創作、実話、座談会を濫造する。

 固い、消化の悪い出版が流行《はや》り初めた。もう大抵の読者は胃酸過多になっているらしい。古い古い缶詰めやタクアンが美味《うま》く感ぜられるくらい大衆は胃下垂状態に陥っているらしい。
 大衆の読書趣味が行き詰まり初めたようである。何を読んでも面白くなくなって来たようである。
 日本が敗けるか勝つか……といった
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