まさか》祖母の記憶力がここまで消耗していようとは夢にも思わなかったが、併し謡わないよりは増《ま》しだと思って又一番|相《あい》勤めた。けれ共その終い際になったら、もともと厭気がさしている上に疲れているものだから、声が甲《かん》に釣り上ってヘトヘトになってすっかり汗を掻いてしまった。そうしてやっと謡って仕舞うと、祖母は又もや涙を拭いながら、
「ああ、久し振りで面白かった。死んだ祖父《じい》様が生きて御座ったらなあ。それでは今度は富士太鼓を一ッつ何卒《どうぞ》」
と云った。自分はとうとう死に物狂いの体《てい》で今一番富士太鼓を謡って、伯父伯母が帰らぬ内に這々の体《てい》で退却した。
そうして聴き手を択《えら》むべきものだと、この時つくづく感じた事であった。
夢中運動の事
電車の中なぞでよく見受けるが、分別盛り以上の年輩で一廉《ひとかど》の服装をして髯《ひげ》なぞを生やしている人が、夢を見るような眼付で天の一方を睨みつつ、お経の化け物見たいな声を高く低く出しながら、手や足を痙攣《けいれん》的に動かして拍子を取っている御仁がある。知らぬものは一寸《ちょっと》驚くが、これは狐付きでも何でもない。謡曲の第三期中毒者で、些《すこ》しも危険の恐れのない発作症状を今現わしているところなのである。謡曲中毒もここまで来ると既に病膏肓《やまいこうこう》に入ったというもので、頓服《とんぷく》的忠告や注射的批難位では中々治るものでない。丁度モルヒネだの阿片の中毒と同じで、止めようと思ってもガタンガタンが四楽《しらく》に聞こえ、ゴドンゴドンが地謡いに聞こえて、唇自ずからふるえ、手足自ずから動き、遂に身心は恍惚として脱落し去って、露西亜《ロシア》で革命党が爆裂弾を投げようが、日本で政府党が選挙に勝とうが、又は乗り換えを忘れようが、終点まで運ばれようが委細構わず、紅塵万丈の熱鬧《ねっとう》世界を遠く白雲|緬※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1−92−58]《めんばく》の地平線下に委棄し来《きた》って、悠々として「四条五条の橋の上」に遊び、「愛鷹《あしたか》山や富士の高峰《たかね》」の上はるかなる国に羽化登仙《うかとうせん》し去るのである。
南無阿弥陀仏もよかろう。アーメンも面白かろう。天理教の蒟蒻躍《こんにゃくおど》り、静坐法の癲癇舞踊、皆それぞれ相当の境界があろう。けれ共世の中にこれ位高尚で、玄妙で、無害で楽しみの深い境界に容易に到達し得る宗旨は滅多にあるまい。拙者は大方の諸君が一日も早くこの宗旨に帰依して、九段の本山の大会に随喜|渇仰《かつごう》の涙を以て臨んで、用いて尽きず施して足らざる事なき大歓喜の至楽を享《う》けられむ事を希望して息《や》まぬものである。
底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年12月3日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:小林徹
2001年10月29日公開
2006年3月3日修正
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