が減退していると聞いていたが、会って見ると左程でもなく、よく拙者を記憶していて、いつ東京から帰ったかとか、幾つになったかとか、嫁はまだ貰わぬかなど聞いた。そうして最後に、
「妾《わたし》も最早《もはや》余程長い事こうやっていて退屈してなあ」
 と云った。この時に自分は不図《ふと》この祖母が謡い好きであった事を思い出して、忽ち胸中に湧き出した野心が半天に漲《みなぎ》り渡ると、思い切って独逸流に、
「お祖母《ばあ》様。私は東京に行って謡いを稽古して来ました。御退屈なら伯父が帰るまでに一ツ謡って見ましょうか」
 と切り出した。その時の祖母の喜びようと来たら全く地獄で仏に会ったようであったが、自分も亦《また》御同様で全くこの祖母を拝みたい位に思ったのである。
「併《しか》し何を謡いましょうか」
 と尋ねて見ると、祖母はその濁った眼を天井に放ってしきりに考えている様子であったが、
「ああ、それそれ、死んだ爺さんが謡い御座った、あの、それ……四方にパッと散るかと見えてというあれを」
「富士太鼓ですか」
「それそれ、その富士太鼓――」
 果然、富士太鼓は拙者の得意の出し物であった。今は何条猶予すべき、直ぐに偉容を張って謡い了《おわ》ったが、我れながら会心の出来で、殊に、
「乱れ髪乱れ笠、思いはいつか忘れむと」
 のあたり、即座に天関《てんかん》地軸を撲落して、唯一人の美人を天の一方に仰ぐような心地がした。祖母も余程感に堪えた様子で、二ツ切りの手拭を顔に押し当てて涙を拭いながら、
「ああ、久し振りで面白かった。死んだ爺さんが生きて御座ったらなあ……。今一つ聞かせて」
 と云った。拙者はこの言葉を聞いて正直のところ涙が出そうであった。自分が謡曲を始めてから今日までこれ位に感動を他人に与えた事はないので、全く自他の本懐といい祖母への孝養といい申し分のない大成功であった。ところが扨《さて》、
「今度は何を謡いましょう」
 と尋ねて見ると、祖母は又もや涙を拭いながら、
「お前はあの富士太鼓を知っていなさるかの」
 と云った。自分は聊《いささ》か驚いて、
「今うたいましたよ、それは」
「何をば」
「その富士太鼓をです」
「ああ、その富士太鼓富士太鼓。妾はようよう思い出した。死んだ爺さんはそれが大好きで、毎日毎日謡い御座った。あれを一ツ」
 これには自分も全くうんざりして終《しま》った。真逆《
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