もちで、直ちに第三発の十六|吋《インチ》を撃ち出す。
「ハハア。それはそうでしょう、まだ妙味を御存じないから。あの声というものは一朝一夕で出る声ではありません。他の音曲では浮いた声があっても差し支えありませぬが、謡曲では決してそんな声を用いる事を許しません。ですから他の音曲は面白くても賤《いや》しく、謡曲は面白くなくても高尚なのです。この声を出すには、先ずこんな風に正座して身心を整斉虚名ならしめ、気海|丹田《たんでん》に力をこう籠めて全身に及ぼし、心広く体胖《たいゆた》かに、即ち至誠神明に通ずる底《てい》の神気を以て朗々と吟誦するのです。ですから一句の裡《うち》に松影|婆娑《ばさ》たる須磨の浦を現わし、一節の裡に万人の袖を濡らす事が出来るのです」
例えばこういう風に直ぐにも始めそうに身構えをして、相手の顔をグッと睨む。ここが危機一髪、相互の生死の分れるところで、折角の深い交際が疎《おろそ》かになったり、恩義ある人に悪感を抱かせたり、又は大切の得意を失策《しくじ》ったりして、後悔|臍《ほぞ》を噬《か》む共及ばぬような大事件が出来《しゅったい》するその最初の一刹那なのである。もしそれ掣電《せいでん》の機前に虎を捕え得る底《てい》の名外交家ならばいざ知らず、大抵の相手ならばここで大切な用事を思い出したり、天気が怪しくなったり、少く共いずれ又その中《うち》にという言葉を抵当にして、多少先方の心田に不満の種を蒔《ま》いて帰るか、然らずんば先方に機先を制せられて、人間離れのした声で上《かみ》は天堂|下《しも》は地獄まで引きずりまわされて、散々に神経系統を攪乱《こうらん》されて、小便にも行けずに這々《ほうほう》の体で逃げ帰るのが落ちである。
自分は熟々《つらつら》案じて見るに、こんな連中があとで極端な謡い嫌いになって、到る処この時の経験を吹聴してまわるから、世上に比較的謡曲嫌いが多く、下手謡曲家に捕まるのと鼈《すっぽん》に喰い付かれるのとを同じ位の悪感を以て迎え、謡曲好きの近所に住むのと高架線のガードの下に住まうのとを混同して考えるような事になったのではあるまいかと思う。こう考えて見ると、世上に謡曲亡国論の多いのも無理はない事で、その原因は皆|斯様《かよう》な脅迫的謡曲家が種を蒔いたという事に帰するであろう。於此乎《ここにおいて》斯道《しどう》愛好者は宜しく冷静に熟慮反省して
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