皆は森《しん》と静まり返ってしまった。私もナイフとフォークを置いてナプキンで口を拭いた。
 水夫長は非常に感情を害したらしかった。大きな、灰色の眼を剥き出して真蒼になりながら、船長を見下すようにソロソロと立ち上ったが、それを見上げた船長はイヨイヨ平気な顔になって冷笑を含んだ。
「……フフ……消毒も出来んからなあ……フフ……」
 そんな場面に慣れていた私は、今にもナイフか皿が飛ぶものと思ってコッソリ椅子を浮かしていた。しかし水夫長はジッと我慢した。毛ムクジャラの両の拳《こぶし》をワナワナと震わして、禿《は》げ上った額《ひたい》の左右に、太い青筋をモリモリと浮き上らせていたが、突然にクルリとビール樽を廻転さしたと思うと、モウ水夫部屋に通ずる入口の扉《ドア》に手をかけていた。
 その幅広い背中を船長はピタリと睨んだ。
「……オイ……どこへ行くんだ」
「……消毒しに行くんだ……」
 と水夫長は見向きもせずに怒鳴りながら、ガチャガチャと把手《ノッブ》を捻《ねじ》った。
「……馬鹿ッ……」
 と、底力のある声で船長が云った。腕を高やかに組みながら……。
「……俺の部下を海に投《ほう》り込むような
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