合わせた。
云い知れぬ恐怖が船全体に満ち満ちた。
眼のまわる程忙がしいのをソッチ除《の》けにして、あらん限りの火薬を集めて、あらん限りの爆竹が作られた。船員の中で出られる限りの者は皆、船首に集まって手に手に爆竹を鳴らしながら二人の霊を慰めた。
潮飛沫《しおしぶき》に濡れたのはそのまま海に投込んだ。空砲も打った。短銃《ピストル》も放った。
その音は轟々と吹く風に吹き散らされ、※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]々《どうどう》と崩れる波に入り乱れて物凄い限りを極めた。
けれども、結局この船に付いた怪痴《けち》を払い除ける事は出来なかったらしい。
出帆してから一週間目に来た、その大|時化《しけ》の最高潮に、メイン・マストも、舵《かじ》も、ボートも、皆遣られた丸坊主のピニエス・ペンドル号は、毅然としている船長と、瀕死の水夫長と、狼狽している船員を載せたまま、グングンと吹き流され始めた。そうして一日一夜の後《のち》に、どこともわからない海岸に吹き付けられて難破してしまった。
私は水夫長の救命胴着《コルク・チョッキ》を身に着けて、真暗な舷側から身を躍らせた。
それから暫くの間暗黒の海上を、陸地らしい方向へ一生懸命に泳いでいるつもりであったが、やがて、腕に火が付いたような感じがしたのでビックリして眼を開いてみると、意外にも私は、一等船室らしい見事なベッドの中に、リンネルの寝間着《ねまき》に包まれて寝かされている。その二の腕に出来た原因不明の擦過傷《すりきず》を、黒いアゴヒゲを生《は》やした医者らしい男が、
「……静かに……静かに……」
と云いながら叮嚀に拭き浄めているのであった。
その男が使う独逸《ドイツ》ナマリの英語は実にわかりにくくて弱った。しかし大体の要点だけは、暫く話しているうちにヤッと呑み込めた。
この男はこの船の船医で、ブーレーというミュンヘン出のドクトルであった。船は昨日《きのう》香港を出て来たばかりのクライデウォルフ号という七千|噸《トン》級の独逸汽船で、長崎から横浜へまわる客船《メイルボート》であったが、今朝《けさ》早く浪《なみ》の間を転々《ロール》している私を助け上げてみると、宝石や札束を詰めた自転車のチューブを、胴体一面に巻き付けていたので、皆ビックリさせられた。しかし相当の身なりをしていたし、領事の名刺や手紙などを、旅行免
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