る。あらん限りの綺麗な絵の具に火を放《つ》けて、大空一面にブチ撒いたようで、どんなパノラマ描《か》きでもアンな画は書けなかったろう。眼が眩《くら》んで息が詰まる位ドエライ、モノスゴイものであった。
私は潮飛沫《しおしぶき》を浴びながら甲板の突端《トップ》に掴まって、揺れ上ったり、揺れ下ったりしいしい暗くなって行く、真青な海の向う側をボンヤリと見惚《みと》れていた。するとその肩をダシヌケに叩いた者が居たのでビックリして振り返ってみると、それは小男の二等運転手であった。
その顔を見た瞬間に……又|暴風《あらし》だな……と直覚した私は、空っぽになったウイスキーの瓶を頭の中で、クルクルと廻転させた。
小男の二等運転手は鈎鼻《かぎばな》をコスリコスリ下手《へた》な日本語で云った。
「水夫長ドコ行キマシタ」
「先刻《さっき》頭が痛いと云って降りて行ったようですが?」
「困リマス、バロメーの水銀無クナリマス」
「……驚いたなあ……また時化《しけ》るんですか」
運転手は返事せずに、階段の方向へ駈け出した。同時に下から不安な顔をさし出した一等運転手と、肩を並べて降りて行った。だから私も何かしら不安な気持に逐《お》われながら、下甲板伝いに食堂へ降りて行ったが忽ち……アッ……と叫んで立ち止まった。
船室の扉《ドア》が半開きになっている蔭から、水夫長の巨大な身体《からだ》がウツムケに投げ出されている。襯衣《シャツ》の上のズボン釣りを片っ方|外《はず》して、右手は扉《ドア》の下の角《すみ》を、左手は真鍮張りの敷居をシッカリと掴みながらビクビクと藻掻《もが》いているようである。ランプが点《つ》いていないせい[#「せい」に傍点]か、顔と手の色が土のように青黒い。
私より先に立っていた二人の運転手が、同時にタジタジとよろめいた。船が揺れたせい[#「せい」に傍点]ではなかった。同時に水夫長がウームと唸った。
私はイキナリ駈け寄って抱き起そうとしたが、まだ水夫長の身体《からだ》に触れないうちに、思いがけない二人の人間が、水夫長の足の処に立っているのを発見したので、ビックリしながら手を引いた。その二人の背後からは、夕映えの窓明りがピカピカとさし込んでいたが、それでも二人の服装が、細かい処まで青白くハッキリと見えたから不思議であった。
それはツイ一時間ばかり前に、二重の麻袋《ドンゴロス》に
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