太郎が時々担当の教師に残されて、採点の手伝いをさせられる事があるので……ソンナ時は成るたけ連れ立って帰ろうね……と約束していた事までも思い出した彼は、どうする事も出来ないタマラナイ面目なさに縛られつつ、辛《かろ》うじて阿弥陀《あみだ》になった帽子を引直しただけであった。
「……オトウサーアアーンン……降りて行きましょうかアア……」
 という中《うち》に太郎は堤の上をズンズンこちらの方へ引返《ひきかえ》して来た。
「イヤ……俺が登って行く……」
 狼狽《ろうばい》した彼はシャガレた声でこう叫ぶと、一足飛びに線路の横の溝を飛び越えて、重たい鞄を抱え直した。四十五度以上の急斜面に植え付けられた芝草の上を、一生懸命に攀《よ》じ登り初めたのであった。
 それは労働に慣れない彼にとっては実に死ぬ程の苦しい体験であった。振返るさえ恐しい三|丈《じょう》あまりの急斜面を、足首の固い兵隊靴の爪先《つまさき》と、片手の力を便りにして匐《は》い登って行くうちに、彼は早くも膝頭《ひざがしら》がガクガクになる程疲れてしまった。崖《がけ》の中途に乱生した冷《つ》めたい草の株を掴《つか》むたんびに、右手の指先の感覚 
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