…………………」
ハッと気が付いてみると彼は、その日もいつの間にか平生《へいぜい》の習慣通りに、線路伝いに来ていて、ちょうど長い長い堀割の真中《まんなか》あたりに近い枕木の上に立佇《たちど》まっているのであった。彼のすぐ横には白ペンキ塗《ぬり》の信号柱が、白地《しろじ》に黒線の這入《はい》った横木を傾けて、下り列車が近付いている事を暗示していたが、しかし人影らしいものはどこにも見当らなかった。ただ彼のみすぼらしい姿を左右から挟んだ、高い高い堀割の上半分に、傾いた冬の日がアカアカと照り映《は》えているその又上に、鋼鉄色の澄み切った空がズーッと線路の向うの、山の向う側まで傾き蔽《おお》うているばかりであった。
そんなような景色を見まわしているうちに彼は、ゆくりなくも彼の子供時代からの体験を思い出していた。
……もしや今のは自分の魂が、自分を呼んだのではあるまいか。……お父さん……と呼んだように思ったのは、自分の聞き違いではなかったろうか……。
といったような考えを一瞬間、頭の中に廻転させながら、キョロキョロとそこいらを見まわしていた。……が、やがてその視線がフッと左手の堀割の高い高
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