校の時間が遅れるのは止《や》むを得ない。だから線路を通るのは万《ばん》止むを得ないのだ……。
なぞといったような云い訳を毎日毎日心の中で繰り返しているのであった。当てもない妻の霊に対して、おんなじような詫《わ》びごとを繰返し繰返し良心の呵責《かしゃく》を胡麻化《ごまか》しているのであった。
ところが天罰|覿面《てきめん》とはこの事であったろうか。こうした彼の不正直さが根こそげ曝露《ばくろ》する時機が来た。しかし後から考えるとその時の出来事が、後に彼の愛児を惨死させた間接の……イヤ……直接の原因になっているとしか思われない、意外|千万《せんばん》の出来事が起って、非常な打撃を彼に与えたのであった。
それはやはり去年の正月の大寒中で、妻の三七日が済んだ翌《あく》る日の事であったが…………………………………………。
……ここまで考え続けて来た彼は、チョット鞄を抱え直しながら、もう一度そこいらをキョロキョロと見まわした。
そこは線路が、この辺《へん》一帯を蔽《おお》うている涯《は》てしもない雑木林の間の空地に出てから間もない処に在る小川の暗渠《あんきょ》の上で、殆《ほと》んど干上《ひあが》りかかった鉄気水《かなけみず》の流れが、枯葦《かれあし》の間の処々《ところどころ》にトラホームの瞳に似た微《かす》かな光りを放っていた。その暗渠の上を通り越すと彼は、いつの間にか線路の上に歩み出している彼自身を怪しみもせずに、今まで考え続けて来た彼自身の過去の記憶を今一度、シンシンと泌《し》み渡る頭の痛みと重ね合わせて、チラチラと思い出しつづけたのであった。
そのチラチラの中には純粋な彼自身の主観もあれば、彼の想像から来た彼自身に対する客観もあった。暖かい他人の同情の言葉もあれば、彼の行動を批判する彼自身の冷《つ》めたい正義観念も交《まざ》っていたが、要するにそんなような種々雑多な印象や記憶の断片や残滓《ざんさい》が、早くも考え疲れに疲れた彼の頭の中で、暈《ぼ》かしになったり、大うつしになったり、又は二重、絞り、切組《きりくみ》、逆戻り、トリック、モンタージュの千変万化《せんぺんばんか》をつくして、或《あるい》は構成派のような、未来派のような、又は印象派のような場面をゴチャゴチャに渦巻きめぐらしつつ、次から次へと変化し、進展し初めたのであった。そうして彼自身が意識し得なかった彼
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