宮様の御罰までもない。身共がこの和尚と同様に一刀の下に斬棄《きりす》てる役柄故、左様《さよう》心得よ」

 それから数日の後《のち》、銀之丞は一品薬王寺宮御門跡の御賽銭宰領に変装し、井遷寺の床下に積んであった不浄の金を二十二の銭叺《ぜにがます》に入れ、十一頭の馬に負わせ、百姓共に口を取らせて名古屋まで運び、諸国為替問屋、茶中《ちゃちゅう》の手で九千余両の為替に組直させ、百姓共に手厚い賃銀を取らせて追返すと、さっぱりと身姿《みなり》を改めて押しも押されもせぬ公家侍の旅姿となり、夜《よ》を日に次いで京都へと急いだ。

 一方、銀之丞に別れた播磨屋千六は、途中滞りもなく長崎へ着いた。
 千六は長崎へ着くと直ぐに抜荷《ぬけに》を買いはじめた。抜荷というのは今でいう密貿易品のことで、翡翠《ひすい》、水晶、その他の宝玉の類、緞子《どんす》、繻珍《しゅちん》、羅紗《ラシャ》なぞいう呉服物、その他禁制品の阿片《アヘン》なぞいうものを、密かに売買いするのであったが、その当時は吉宗将軍以後の御政道の弛《ゆる》みかけていた時分の事だったので、面白いほど儲かった。モトモト千六は無敵な商売上手に生れ付いていたのが、女に痴呆《ほう》けたために前後を忘れていたに過ぎないので、こうして本気になって、女にも酒にも眼を呉《く》れず、絶体絶命の死身《しにみ》になって稼ぎはじめると、腕っこきの支那人でも敵《かな》わないカンのいいところを見せた。のみならず千六は賭博《ばくち》にも勝《すぐ》れた天才を持っていたらしく、相手の手の中《うち》を見破って、そいつを逆に利用する手がトテモ鮮やかでスゴかったので仲間の交際《つきあい》ではいつも花形になったばかりでなく、その身代は太るばかり。長崎に来てからまだ半年も経たぬうちに、早くも一万両に余る金を貯めたのを、彼《か》の夜の事を忘れぬように三五屋《さんごや》という家号で為替に組んで、大阪の両替屋、三輪鶴《みわづる》に預けていた。従って三五屋という名前は大阪では一廉《ひとかど》の大商人《おおあきんど》で通っていたが、長崎では詰まらぬ商人《あきんど》宿に燻ぶっている狐鼠狐鼠《こそこそ》仲買に過ぎなかった。
 その年の秋の初めの事であった。千六は何気なく長崎の支那人街を通りかかると、フト微《かす》かに味噌の臭いがしたので立ち佇まった。そこいらを見まわすと前後左右、支那人の家《
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