ところなぞ、熨斗目《のしめ》、麻裃《あさがみしも》を着せたなら天晴れ何万石の若殿様にも見えるであろう。俺ほどの男ぶりに満月が惚れぬ筈はない。日本一の美男と美女じゃもの。これが一所《いっしょ》にならぬ話の筋は世間にあるまい……といったような自惚《うぬぼ》れから、柄にない無理算段をして通い初《そ》めたのが運の尽き。案の定惚れたと見せたは満月の手管らしかった。天下の色男と自任していた銀之丞が、花魁《おいらん》に身上げでもさせる事か。忽ちの中《うち》に金に詰まり初め、御書院番のお役目の最中は、居眠りばかりしていながらに、時分を見計らっては受持っている宝物棚の中から、音に名高い利休の茶匙《ちゃさじ》、小倉《おぐら》の色紙を初め、仁清《にんせい》の香炉《こうろ》、欽窯《きんよう》の花瓶なぞ、七条家の御門の外に出た事のない御秘蔵の書画|骨董《こっとう》の数々を盗み出して、コッソリと大阪の商人に売りこかし、満月に入れ揚げるのを当然の権利か義務のように心得ている有様であった。
残る一人は大阪屈指の廻船問屋、播磨《はりま》屋の当主|千六《せんろく》であった。二十四の年に流行病《はやりやみ》で両親を失ってからというもの、永年勤めていた烟《けむ》たい番頭を逐《お》い出し、独天下《ひとりてんか》で骨の折れる廻船問屋の采配を振り初めたところは立派であったが、一度、仲間の交際《つきあい》で京見物に上り、眉の薄い、色の白いところから思い付いた役者に化けて松本楼に上り、満月花魁の姿を見てからというもの役者の化けの皮はどこへやら、仲間に笑われながら京都に居残り、為替《かわせ》で金を取寄せて芸者末社の機嫌を取り、満月との首尾のためには清水の舞台から後跳《うしろと》びでも厭《いと》わぬ逆上《のぼ》せよう。自宅《うち》から心配して迎えに来た忠義な手代に会いは会うても、大阪という処が、どこかに在りましたかなあという顔をしていた。
満月はこの三人に対して締めつ弛《ゆる》めつ、年に似合わぬ鮮やかな手管を使って見せたので、三人の競争はいよいよ激しくなって行くばかり。満月の名娼ぶりの中でも一番すごいのは、その持って生まれた手練手管であることを、三人が三人とも、夢にも気付かぬ気はいであった。どうしてもこの大空の満月を自分一人の手に握り込まねば……という必死の競争を続けるのであった。
しかし、そのうちにこの競争も
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