かかった。七代は両手を泉水に突込んだまま一太刀|毎《ごと》に穢《きたな》い死に声を絞った。
五
与一は二つの女首を泉水に突込んで洗った。長襦袢の袖に包んで左右に抱えた。真紅《まっか》な足袋|跣《はだし》のまま離れ座敷を出ると、植込みの間に腰を抜かしている若党勇八を尻目に見ながら、やはり足袋跣のまま、悠々と玄関脇の仏間へ上って来て、低い位牌壇の左右に二つの首級《くび》を押し並べた。赤い袖の頬冠りをした女首が、さながらに奇妙な大輪の花を供えたように見えた。
与一はそこで汚れた足袋を脱いで植込みの中へ投げた。それから台所の雑巾を取って来て、縁側から仏間へ続く血と泥の足跡を拭《ぬぐ》い浄《きよ》めた。水棚へ行って仕舞桶《しまいおけ》で顔や両手をよく洗って、乾いた布巾《ふきん》で拭い上げた。それから水をシタタカに飲んで玄関の方へ行きかけたが又、思い出したように仏間へ引返して線香を何本も何本も上げた。
血の異臭と、線香の芳香《かおり》が暗い部屋の中に息苦しい程みちみちた。その中に座り込んだ与一は仔細らしく両手を合わせた。
「開けい、開けい……誰も居《お》らぬか……」
表戸を烈しくたたく音がすると、与一はキッと身を起した。仏壇の折れ障子をピッタリと閉めて、一散に玄関に走り出た。有り合う竹の皮の草履を突かけて出ると、式台の脇柱に繋いだ西村家の赤馬が前掻きするのを、ドウドウと声をかけながら表門の閂《かんぬき》を外した。外には紋服の与九郎昌秋が太刀《たち》提《ひっさ》げて汗を拭いていた。
「おお与一か。昼日中《ひるひなか》から門を閉《た》てて……慌てるな与一……ヤヤッ、何か斬ったナ……」
と眼を丸くして見上げ見下ろす祖父の手首を与一は両手で無手《むず》と掴んだ。
「何事じゃ……どうしたのじゃ……」
と急《せ》き込んで尋ねる昌秋を、与一は玄関から一直線に仏間に案内した。仏壇の障子を颯《さっ》と左右に開いて二つの首級を指しながら、キッと祖父の顔を仰ぎ見た。
「ウ――ムッ。これはッ……」
ギリギリと眼を釣り上げた昌秋は左手に提《ひっさ》げた延寿国資《えんじゅくにすけ》の大刀をガラリと畳の上に取落した。仏壇の前にドッカリと安座《あんざ》を掻いて、両手を前に突いた。肩で呼吸をしながら与一をかえりみた。
「……わ……われが斬ったか……与一……」
与一はその片脇にベッタリと座りながら無造作に一つうなずいた。唇を切れる程噛んだまま昌秋の顔を凝視した。
昌秋の顔が真白くなった。忽ちパッと紅《あか》くなった。そうして又見る見る真青になった。
「お祖父《じい》様……お腹を召しませ」
与一は小さな手を血だらけの馬乗袴の上に突っ張った。
「……扨《さて》はおのれッ……」
昌秋の血相が火のように一変した。坐ったまま延寿国資の大刀を引寄せて、悪鬼のように全身をわななかせた。
与一はパッと一尺ばかり辷《すべ》り退《しりぞ》いた。居合腰のまま金剛兵衛の鯉口を切った。キッパリと言い放った。
「与一の主君は……忠之様で御座りまするぞッ」
「……ナ……ナ……何とッ……」
「主君に反《そ》むく者は与一の敵……親兄弟とても……お祖父《じい》様とても許しませぬぞッ……」
「おのれッ……小賢《こざか》しい文句……誰が教えたッ……」
「お父《とと》様と……お母《かか》様……そう仰言《おっしゃ》って……私の頭を撫で……亡くなられました……」
与一がオロオロ声になった。両眼が涙で一パイになった。ガラリと金剛兵衛を投げ出して昌秋の右腕に取り縋《すが》った。
「……与一を……お斬りなされませ。お斬り下さいませ。そうして……薩摩の国へ、お出でなされませ。のう……お祖父《じい》様……」
「……ウムッ……ウムッ……」
昌秋の唇が枯葉のようにわなないた。涙が両頬の皺をパラパラと伝い落ちた。太刀《たち》の柄に手をかけたまま、大盤石に挟まれたように身をもだえた。
「ええッ。手を離せッ……このこの手を……」
「……ハイ……」
と与一は素直に手を離して退《しりぞ》いた。斬られる覚悟らしく両手を突いて、うなだれた。
「……その上……その上……お祖父《じい》様は御養子……モトは西村家のお方ゆえ、御一存でこの家を、お潰しになってはなりませぬ。この家の御先祖様に対して、なりませぬ。……潰すならば与一が潰しまする。……与一は真実《まっこと》この家の血を引いたお祖母《ばあ》様の孫……」
「ウーム。その文句も父《とと》様|母《かか》様が言い聞かせたか」
延寿国資を静かに傍《かたわら》に差し置いた昌秋は、涙を払って坐り直した。平常のように眼を細くして孫の姿を惚れ惚れと見上げ見下ろした。与一は突伏したまま頭を強く左右に振った。
「与一が幼稚《おさな》時に人から聞いておりまする。左様《さよ
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