お耳には却《かえっ》て這入らぬものじゃでのう。……して今日のお召はその事で……」
「まったくその事で御座る。番座限《ここまで》のお話で御座るが……」
「心得ました。八幡口外は仕《つかまつ》らぬ」
「忝《かたじけ》のう御座る。おおかたお側の女《はした》どもの噂からお耳に入ったことと思うが、殿の仰せには、薩藩から余に一言の会釈もせいで、黒田藩士に直々《じきじき》の恩賞沙汰は、この忠之を眼中に置かぬ島津の無礼じゃ。又、塙代奴が余の許しも受けいで、無作《むさ》と他藩の恩賞を受けるとは不埒千万。不得心《ふとくしん》この上もない奴じゃ。棄ておいては当藩の示しにならぬ。家禄を召上げて追放せい。切腹も許さぬ……という厳しい御沙汰じゃが……」
「それは殿のお言葉が、恐れながら順当で御座ろう。とやかく申しても当、上様は御名君のう。天晴《あっぱ》れな御意……申分御座らぬ……」
 尾藤内記は唖然となった。長い顔を一層長くした。玄翁《げんのう》で打っても潰れそうにない淵老人の頑固|面《づら》を凝視した。

       二

「……これは如何《いかが》なこと……御老人までがその連れでは拙者、立つ瀬が御座らぬ。塙代与九郎の家は三百五十石、馬廻《うままわ》りの小禄とは申せ、先代|与五兵衛尉《よごへいのじょう》が、禁裡馬術の名誉以来、当藩馬術の指南番として、太刀折紙《たちおりがみ》の礼を許されている大組格《おおくみかく》の名家じゃ。取潰すとあれば親類縁者が一騒動起すであろう」
「イヤ。大騒動を起させるが宜《よ》う御座ろう。却《かえっ》て見せしめになりましょうぞ」
「いかなこと。殿の御意もそこで御座る」
「さればこそ。結構な御意……我君は御名君。老人、胸がスウーッと致した。早々与九郎を追放されませい」
「ささ。それが左様《さよう》手軽には参らぬ。与九郎奴の追放は薩藩への面当《つらあて》にも相成るでな」
「イヨイヨ面白いでは御座らぬか。この頃のように泰平が続いては自然お納戸の算盤《そろばん》が立ち兼ねて参りまする。ドサクサ紛れに今二三十万石、どこからか切取らねばこのお城の馬糧《かいば》に足らぬ。手柄があっても加増も出来ぬとあれば、当藩士の意気組は腐るばっかり。武芸|出精《しゅっせい》の張合が御座らぬ。主君の御癇癖も昂《たか》まるばっかり……取潰し結構。弓矢出入り尚更《なおさら》結構……塙代与九郎を槍玉
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