ラに乱した与一昌純が、袴の股立《ももだち》を取って突立っていた。塙代家の家宝、銀|拵《ごしら》え、金剛兵衛盛高《こんごうへえもりたか》、一尺四寸の小刀を提《ひっさ》げて、泥足袋のまま茫然と眼を据えていた。
「アレ。与一《よっ》ちゃま。どうなされました」
 とお八代がしどけない姿のまま走り寄ったが、その間髪を容《い》れず……
「小母様……御免ッ……」
 と叫ぶ与一の声と共に、眩しい西日の中で白い冷たい虹が翻《ひるが》えった。はだかったマン丸いお八代の右肩へ、抜討ちにズッカリと斬り込んだ。血飛沫《ちしぶき》が障子一面に飛んで、白い乳の珠《たま》がトロトロと紅い網に包まれた。
「ア――ッ」
 とお八代が腸《はらわた》の底から出る断末魔の声を引いた。そのまま、
「……与一《よっ》ちゃまアッ……」
 と抱き付こうとする胸元を、一歩|退《しりぞ》いた与一がズップリと一刺し。
「……ヨ……よっちゃまアアアア……」
 と虫の息になったお八代はバッタリと横たおしになった。
 七代はしかし声も立てなかった。身を翻えして夜具の大波を打つ座敷へ走り込んだ。高枕と括《くく》り枕を次から次と与一に投げ付けた。枕元の懐紙を投げた。床の間の青磁の香炉をタタキ付けた。ギヤマンの茶器を銀盆ごと投げ出した。九谷の燗瓶を振り上げた。皿、鉢、盃洗《はいせん》、猫足《ねこあし》膳などを手当り次第に打ち付けた。
 与一は右に左に翻《かわ》して血刀を突き付けた。
「与一《よっ》ちゃま。堪忍……かんにんして……妾《わたし》ゃ知らん。知らん。何にも知らん。姉さんが悪い姉さんが悪い」
「畜生ッ……外道ッ……」
 と与一は呼吸を喘《はず》ませた。
「逃がすものか……」
「アレエッ。誰か出会うてッ。与一《よっ》ちゃまが乱心……ランシイ――ンン……」
「おのれッ……云うかッ……おのれッ……」
 東の縁側から逃げ出した七代の乱れた髻《もとどり》に、飛鳥のごとく掴みかかった与一は、そのまま飛石《とびいし》の上をヒョロヒョロと引き擦《ず》られて行った。金剛兵衛《こんごうへえ》を持直す間《ま》もなく泉水の側まで来た。脱げかかった帯と長襦袢に足元を絡まれた七代はバッタリと低い石橋の上に突っ伏した。その後髪を左手に捲き付けた与一は、必死と突伏し縮める白い頸筋をグイグイと引起しざま、
「……エイッ……エイッ……」
 と片手なぐに斬り放しに
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