与九郎奴を、肥後、薩摩の境い目まで引っ立てて討ち放せ。その趣意を捨札《すてふだ》にして、あすこに晒首《さらしくび》にして参れ。他藩主の恩賞なんどを無作《むさ》と懐中に入れるような奴は謀反、裏切者と同然の奴じゃ。天亀、天正の昔も今と同じ事じゃ。わかったか」
「ハハ。一々|御尤《ごもっと》も……」
「肥後殿も悪《あ》しゅうは計《はか》ろうまい。薩藩とは犬と猿同然の仲じゃけにの……即刻に取計《とりはか》らえ……」
「ハハ。追放……追放致しまする。追放……あり難き仕合わせ……」
「ウム。塙代《ばんだい》与九郎奴は切腹も許さぬぞ。万一切腹しおったらその方の落度ぞ。不埒な奴じゃ。黒田武士の名折れじゃ。屹度《きっと》申付けて向後《こうご》の見せしめにせい。心得たか。……立てッ……」
戦国武士の血を多分に稟《う》け継いでいる忠之は、芥屋《けや》石の沓脱台《くつぬぎ》に庭下駄を踏み鳴らして癇を昂《たか》ぶらせた。成行によっては薩州と一出入り仕兼ねまじき決心が、その切れ上った眥《まなじり》に見えた。お庭に立並んでいた寵妾お秀《ひで》の方を初め五六人の腰元が固唾《かたず》をのんで立ち竦《すく》んだ。
とたんに御本丸から吹きおろす大体|颪《ねおろし》に、返咲きの桜が真白く、お庭一面に散乱した。言い知れぬ殺気が四隣《あたり》に満ち満ちた。
この上は取做《とりな》せば取做すほど語気が烈しくなる主君の気象を知り抜いている大目付役、尾藤内記は、慌しくスルスルと退《の》いた。すぐにも下城しそうな足取りで、お局《つぼね》を出たが、しかし、お局外の長廊下を大書院へ近づくうちに次第次第に歩度が弛《ゆる》んで、うなだれて、両腕を組んだ。思案に暮れる体《てい》でシオシオとお屏風の間《ま》まで来た。
「何事で御座った。大目付殿……」
お納戸頭《なんどがしら》の淵《ふち》金右衛門という老人が待兼ねておったように大屏風の蔭から立現《たちあら》われた。
「おお。御老人……」
と内記は助船《たすけぶね》に出会うたように顔を上げた。ホッと溜息をした。
「よいところへ……ちょっとこちらへ御足労を……少々内談が御座る。折入ってな……」
「内談とは……」
「御老体のお知恵が拝借したい」
「これは改まった……御貴殿の御分別は城内一と……ハハ……追従《ついしょう》では御座らぬ。それに上越《うえこ》す知恵なぞはトテモ拙者に
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