手火事を焼き出そうやら知れぬ。どのように間違うた尾鰭《おひれ》が付いて、どのような片手落の御沙汰が大公儀から下ろうやら知れぬ。それが主君《との》の御癇癖に触れる。大公儀の御沙汰に当藩が承服せぬとなったら、そこがそのまま大公儀の付け目じゃ。越前宰相殿、駿河大納言殿の先例も近いこと。千丈の堤も蟻《あり》の一穴《いっけつ》から……他所事《よそごと》では御座らぬわい。拙者の苦労は、その一つで御座る」
「フーム。いかにものう」
 と淵老人も流石《さすが》に腕を組んで考え込んだ。青菜に塩をかけたようになって嘆息した。
「成る程のう。そこまでは気付かなんだ。……しかし主君《との》はその辺に、お気が付かせられておりまするかのう」
「御存じないかも知れぬが、申上げても同じ事じゃろう」
「ホホオ。それは又、何故《なにゆえ》に……」
「余が家来を余が処置するに、何の不思議がある。……黒田忠之を、生命惜しさに首を縮めている他所《よそ》の亀の子大名と一列とばし了簡《りょうけん》違いすな……。そのような立ち入った咎《とが》め立てするならば、明国、韓国、島津に対する九州の押え大名は、こちらから御免を蒙《こうむ》る。龍造寺、大友の末路を学ぶとも、天下の勢《せい》を引受けて一戦してみようと仰せられる事は必定じゃ。大体、主君《との》の御不満の底にはソレが蟠《わだか》まっておるでのう。その武勇の御望みが、御一代押え通せるか、通せぬかが当藩の運命のわかれ道……」
「言語道断……そのような事になっては一大事じゃ。ハテ。何としたもので御座ろう」
「さればこそ、先程よりお尋ね申すのじゃ。よいお知恵は御座らぬか」
「御座らぬ」
 と淵老人はアッサリ頭を振った。
「お気に入りの倉八《くらはち》殿(十太夫)に御取りなしを御願いするほかにはのう」
 内記は片目を閉じてニヤリ笑い出しながら、頭をゆるやかに左右に振った。老人もニヤリと冷笑して頭を掻いた。倉八十太夫も、お秀の方も、殿の御気に逆らうような事は絶対にし得ない事を知っている二人は、今更のように眼を白くしてうなずき合った。
 微《かすか》な溜息が二人の顔を暗くした。城内の百舌《もず》の声がひとしきり八釜《やかま》しくなった。
「五十五万石の中にこれ以上の知恵の出るところは無いからのう」
「吾々如きがお納戸役ではのう」
「今の塙代与九郎は隠居で御座ったの」
 と尾藤内
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