レントゲンで出来ているのじゃないかと疑った。
「ハハアー。レントゲン専門の方で……」
「そうです。大動脈瘤なら私の処へ毎日のように押しかけて参りますので、皮膚のキメを一眼見るとわかる位になれているのです。皆無事に助かる人が多いのでね。押すな押すなという景気です、ハハハ……」
 古木学士はポカンと口を開けている私を見い見い言葉を続けた。
「イヤ。何でもない治療法なんです。私の秘薬でね、ブシリンという植物質のアルカロイドがあるのです。この薬を飲んでいるうちに血管がスグと柔らかくなって血圧が低くなるので、容易にパンクしないのです。ですから、その薬を差上げながら動脈瘤の病源である黴毒を根治するために、六百六号を注射しておりますと、動脈瘤がだんだん小さくなって、普通の丈夫な血管に回復するのです。しかもその膨れていた処には、丈夫な石膏の壁が残るために、二度とそこからはパンクしなくなるのです。私の処に見えた患者で助からなかった人は十人に一人しかありませんよ」
 私は世にも意気地もなく椅子から辷《すべ》り降りた。
「どうぞ、僕に、その薬を頂かして下さいませぬか。お助け下さいませぬか」
「アハハ。お易い御用です。まあおかけ下さい。この薬です。カプセルに這入っている白い粉末ですが、アイヌが矢尻に塗るブシという毒薬から採った薬です。これをお飲みになれば少くとも二十四時間はどんな劇烈な運動をしても心臓はパンクしません。……オイ! オーイ! この方にプレンソーダを一杯持って来て差上げろ」
 私は夢に夢みるような気持になった。
「しかし……先生のような方が……どうしてコンナ処に……」
「アッハッハッハッハッ。貴方の御運が強いのですね。……実はコンナ処へでも来て息を抜かなくちゃ遣り切れないほど儲かりますのでね。ハッハッ」
「やはり……その動脈瘤の治療で……」
「ナアーニ。動脈瘤の方はタカが知れておりますよ。例の深透レントゲンが大繁昌でね。有閑マダムや有閑令嬢の秘密をワンサ握っているもんですからね。コレで商売が繁昌する世の中はロクな世の中じゃありませんよ。ハッハッハッ」
 私はソーダ水に酔払ったような気持になった。私は古木学士に手を引かれてダンスホールに出た。女を三人も縋り付かせて水車の如く廻転さしてみせた。それから女どもに取巻かれて古木学士と抱き合いながら踊っているうちに、部屋中の灯《ひ》が突然虹のようにギラギラと輝き出したように見えた。それにつれて口の中が妙に黄臭《きなくさ》くなって来たので、毒を飲まされたのかと思ったが、もう遅かった。誰か五六人の手でシッカリと背中を抱えられているのを感じたきり何もかもわからなくなってしまった。

       四

 フッと眼をさますと私は見慣れない病院の一室に寝ている。緑色の壁と薄紫のカアテンに囲まれた静かな、暗い、窖《あなぐら》のような病室だ。カアテンの間から明るい青空の光りが流れ込んで、寝台の枕元から私の顔の真上に垂れ下っているスイトピーを美しく輝かしている。鼻が痲痺しているせいか芳香がしないようである。そのうちに身体《からだ》中がビッショリと汗を掻いて来た。身体《からだ》をモジモジと動かしてみると、フランネルか何かの寝巻を着ているようである。
「……アッ……」
 という小さな叫び声が私の枕元から聞えたので、ビックリして振り返ってみると、栗色の髪をグルグル巻にした黄色いワンピースの少女、眼の大きい、唇の赤い、鼻の高い、憂鬱な檳榔樹《びんろうじゅ》色の少女だ。
「アダリー」
 アダリーは返事の代りに大きな瞬きを一つした。印度人特有の表情の一つであろう。
「きょうは何日……」
「……五月……ジュ……サンニチ……」
「エッ……十三日……ほんとか……」
「……ホント……です……」
 と云ううちにアダリーは壁際の小|卓《テーブル》の上に置いてある新聞を取って見せた。私は引ったくるようにして日附を見た。東京昼夜新聞一万八千二十一号昭和九年五月十三日……日露国交好転……欧洲再び戦乱の兆。
「ここはどこ……」
「古木レントゲン病院……」
 私は唖然となった。しかし間もなく吾に帰ると飛び上って叫んだ。
「オイ大変だ大変だ……先生……古木先生を呼んで来てくれ」
 私の吃驚《びっくり》し方《かた》があんまりひどかったものでアダリーも驚駭《びっくり》したらしい。両手を頭の上に差上げ差上げアヤツリ人形のように両膝を高く揚げながら駈け出して行った。
 予定の日数よりも三日ほど生き伸びている。心臓に手を当ててみると、相も変らずハッキリした流れをトクントクンと打っている。……冗談じゃない。
 訳がわからぬまま、クシャクシャになった頭を掻きまわしたり、鬚だらけになった顎をゴリゴリ撫でまわしたりしているところへ扉《ドア》をノックして、古木先生が悠然
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