って、このQ大学のレントゲン室に出勤している者であるが、タッタ一人の骨肉の兄である私の貧乏に遠慮して、今だに背広服を作り得ずに、金釦《きんボタン》の学生服のままで勤務している純情の弟……恋愛小説の挿画みたような美青年《シイクボーイ》の癖に、カフェエなんか見向きもしない糞真面目な弟……そいつが何か悪い事でもしたかのように私の前にうなだれてメソメソ泣いているから、おかしい。
私は又、その弟と正反対に小さい時から頑丈な体格で頭が頗《すこぶ》る悪い。早稲田文学士の肩書を持ちながら柔道五段の免状を拾っているお蔭で、辛うじてこのQ大の柔道教師の職に喰い下っている武骨者であるが、ツイこの頃軽い胃潰瘍《いかいよう》の疑いで、Q大附属のこの病室に入院した。ところが、その胃潰瘍が程なく全快して、出血が止ったので念のために、この胃潰瘍が癌《がん》になっているかいないかを調べる目的で|X光線《レントゲン》にかかって、レントゲン主任の内藤医学士から「異状無し」と宣告されたのでホットして帰って来て寝台に引っくり返ったばかりのところであった。その矢先に突然にレントゲン室から帰って来た弟が、私の枕元に突立ったままメソメソ泣出したのだから、面喰わざるを得ない。
「どうしたんだ一体……」
「兄さんッ。僕は……僕はホントの事を云います」
激情に満ち満ちた声で叫んだ弟はイキナリ私の頸《くび》ッ玉に飛付いた。横頬を私の胸にスリ付けてシャクリ上げシャクリ上げ云った。
「……ナ……何だ。何をしたんだ」
「兄さんの生命《いのち》はモウ……今から二週間と持ちませんッ」
「……ナ……なあんだ。そんな事か……アハハハハ……」
私は咄嗟《とっさ》の間に、わざとらしい豪傑笑いをした。トタンに横腹がザワザワと粟立《あわだ》って、何かしら悲痛な熱いものが、胸先へコミ上げて来るのをグッと嚥《の》み下した。
「フウーン。やっぱり胃癌だったのかい」
弟は私の肩に縋り付いたまま青白い顔を痙攣《ひっつ》らせて私を仰いだ。
「……モット……モット恐ろしい物なんです。兄さんの心臓に大きな大動脈瘤が在るんです」
「フーム。大動脈瘤……」
私は動脈瘤の恐ろしさを知っていた。
俺は黴毒《ばいどく》なんかには罹《かか》らないとか何とか云って威張っている奴の血液の中にコッソリ居残っている黴毒の地下細胞菌が、ずっと後《あと》になって色んな
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