んだ。
そいつを見ると疑問が一ペンに氷釈したよ。何でもない事なんだ。
吾輩は直ぐに西木家を出て程近い警察の横の斎藤家を訪うた。刺《し》を通じて斎藤の後家さんに面会すると劈頭《へきとう》第一に質問をした。
「……大変に立ち入ったお尋ねごとですが、お亡くなりになった御主人は、お酒を呑み過ぎられますと、酒石酸と、重曹を一所《いっしょ》にお口に入れて、水を飲んで大きなゲップを出される習慣が、お在りになりはしませんでしたか」
後家さんは痩せぎすの色の青い、多少ヒス的な感じのする品のいい婦人だった。可愛そうに最早《もはや》チャントした切髪姿で納まって御座ったが、吾輩の奇問には流石《さすが》にビックリしたらしく眼をパチパチさせたよ。
「まあ……どうして御存じで……主人はいつも御酒《ごしゅ》を頂きますたんびに重曹と、酒石酸を用いましたので……そうしないと二日酔をすると申しまして、御酒《ごしゅ》を頂きますたんびに……」
「それは夜中にお眼醒めになった時に、お一人でコッソリなさるのでしょう」
後家さんはイヨイヨ驚いたらしく眼を丸くしたよ。
「……まあ……よく御存じで……」
「その酒石酸の瓶をチョット拝見さして頂けますまいか」
「ハイ。この瓶で御座います」
といううちに後家さんは立上って、玄関横の薬局から白の結晶の詰まった茶色の瓶を持って来た。経《たて》一寸五分ぐらい、高さ三寸程……ちょうど西木家の吐酒石酸の瓶ぐらいの横腹に白いレッテルが貼ってあって、酒石酸と活字が三個右から左に並んでいる。後家さんは、それを吾輩の前に据えて、感慨無量という体《てい》で眼をしばたたいた。「これが何か、お調べのお役にでも立ちますので……」と云われた時には吾輩、気の毒とも何とも云いようがなかったね。
「イヤナニ……別に……ちょっと参考まで……」
と云って逃げるように斎藤家を辞して往来に出るとホッとしたもんだが、返す返すも馬鹿馬鹿しい話さね。
普通の内科医の処に在る吐酒石酸の瓶を見て見たまえ、高さ一寸かソコラの小さなものだ。これは人間に飲ませるのだから極く小量しか用意してないのだ。ところが図体《ずうたい》の大きい牛馬に飲ませるとなるとトテモ少々では利かないから獣医の処に在る吐酒石酸の瓶は相当に大きいのが用意して在る。ちょうど内科医の処に在る酒石酸の瓶ぐらいあるんだ。
そいつを夜中に眼を醒ました、
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