瓶詰地獄
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)奉慶賀《けいがたてまつり》候《そうろう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)赤|封蝋《ふうろう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「竹かんむり/孤」、第4水準2−83−54]
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 拝呈 時下益々御清栄、奉慶賀《けいがたてまつり》候《そうろう》。陳者《のぶれば》、予《かね》てより御通達の、潮流研究用と覚《おぼ》しき、赤|封蝋《ふうろう》附きの麦酒《ビール》瓶、拾得次第|届告《とどけつげ》仕る様、島民一般に申渡置《もうしわたしおき》候処《そうろうところ》、此程、本島南岸に、別小包の如き、樹脂封蝋附きの麦酒《ビール》瓶が三個漂着致し居るを発見、届出《とどけいで》申候《もうしそうろう》。右は何《いず》れも約半里、乃至《ないし》、一里余を隔てたる個所に、或は砂に埋もれ、又は岩の隙間に固く挟まれ居りたるものにて、よほど以前に漂着致したるものらしく、中味も、御高示の如き、官製|端書《はがき》とは相見えず、雑記帳の破片様のものらしく候為め、御下命の如き漂着の時日等の記入は不可能と被為存《ぞんぜられ》候《そうろう》。然れ共、尚《なお》何かの御参考と存じ、三個とも封瓶のまま、村費にて御送附|申上《もうしあげ》候間《そうろうあいだ》、何卒《なにとぞ》御落手|相願度《あいねがいたく》、此段|得貴意《きいをえ》候《そうろう》 敬具
    月   日
[#地から2字上げ]××島村役場※[#丸付き「印」、36−10]
 海洋研究所 御中

◇第一の瓶の内容

 ああ………この離れ島に、救いの船がとうとう来ました。
 大きな二本のエントツの舟から、ボートが二艘、荒波の上におろされました。舟の上から、それを見送っている人々の中にまじって、私たちのお父さまや、お母さまと思われる、なつかしいお姿が見えます。そうして……おお……私たちの方に向って、白いハンカチを振って下さるのが、ここからよくわかります。
 お父さまや、お母さまたちはきっと、私たちが一番はじめに出した、ビール瓶の手紙を御覧になって、助けに来て下すったに違いありませぬ。
 大きな船から真白い煙が出て、今助けに行くぞ……というように、高い高い笛の音が聞こえて来ました。その音が、この小さな島の中の、禽鳥《とり》や昆虫《むし》を一時に飛び立たせて、遠い海中《わだなか》に消えて行きました。
 けれども、それは、私たち二人にとって、最後の審判の日の※[#「竹かんむり/孤」、第4水準2−83−54]《らっぱ》よりも怖ろしい響《ひびき》で御座いました。私たちの前で天と地が裂けて、神様のお眼の光りと、地獄の火焔《ほのお》が一時《いっとき》に閃《ひら》めき出たように思われました。
 ああ。手が慄《ふる》えて、心が倉皇《あわて》て書かれませぬ。涙で眼が見えなくなります。
 私たち二人は、今から、あの大きな船の真正面に在る高い崖の上に登って、お父様や、お母様や、救いに来て下さる水夫さん達によく見えるように、シッカリと抱き合ったまま、深い淵の中に身を投げて死にます。そうしたら、いつも、あそこに泳いでいるフカが、間もなく、私たちを喰べてしまってくれるでしょう。そうして、あとには、この手紙を詰めたビール瓶が一本浮いているのを、ボートに乗っている人々が見つけて、拾い上げて下さるでしょう。
 ああ。お父様。お母様。すみません。すみません、すみません、すみません。私たちは初めから、あなた方の愛子《いとしご》でなかったと思って諦らめて下さいませ。
 又、せっかく、遠い故郷《ふるさと》から、私たち二人を、わざわざ助けに来て下すった皆様の御親切に対しても、こんなことをする私たち二人はホントにホントに済みません。どうぞどうぞお赦《ゆる》し下さい。そうして、お父様と、お母様に懐《いだ》かれて、人間の世界へ帰る、喜びの時が来ると同時に、死んで行かねばならぬ、不倖《ふしあわせ》な私たちの運命を、お矜恤《われみ》下さいませ。
 私たちは、こうして私たちの肉体と霊魂《たましい》を罰せねば、犯した罪の報償《つぐのい》が出来ないのです。この離れ島の中で、私たち二人が犯した、それはそれは恐ろしい悖戻《よこしま》の報責《むくい》なのです。
 どうぞ、これより以上《うえ》に懺悔することを、おゆるし下さい。私たち二人はフカの餌食になる価打《ねうち》しか無い、狂妄《しれもの》だったのですから……。
 ああ。さようなら。

[#ここから4字下げ]
神様からも人間からも救われ得ぬ
[#地から2字上げ]哀しき二人より
[#ここから2字下げ]
お父様
お母様
皆々様
[#ここで字下げ終わり]

◇第二の瓶の内容

 ああ。隠微《かくれ》たるに鑒《み》たまう神様よ。
 この困難《くるしみ》から救わるる道は、私が死ぬよりほかに、どうしても無いので御座いましょうか。
 私たちが、神様の足※[#「登/几」、第4水準2−3−19]《あしだい》と呼んでいる、あの高い崖の上に私がたった一人で登って、いつも二、三匹のフカが遊び泳いでいる、あの底なしの淵の中を、のぞいてみた事は、今までに何度あったかわかりませぬ。そこから今にも身を投げようと思ったことも、いく度《たび》であったか知れませぬ。けれども、そのたんびに、あの憐憫《あわれ》なアヤ子の事を思い出しては、霊魂《たましい》を滅亡《ほろぼ》す深いため息をしいしい、岩の圭角《かど》を降りて来るのでした。私が死にましたならば、あとから、きっと、アヤ子も身を投げるであろうことが、わかり切っているからでした。

       *

 私と、アヤ子の二人が、あのボートの上で、附添いの乳母《ばあや》夫妻や、センチョーサンや、ウンテンシュさん達を、波に浚《さら》われたまま、この小さな離れ島に漂《なが》れついてから、もう何年になりましょうか。この島は年中夏のようで、クリスマスもお正月も、よくわかりませぬが、もう十年ぐらい経っているように思います。
 その時に、私たちが持っていたものは、一本のエンピツと、ナイフと、一冊のノートブックと、一個のムシメガネと、水を入れた三本のビール瓶と、小さな新約聖書《バイブル》が一冊と……それだけでした。
 けれども、私たちは幸福《しあわせ》でした。
 この小さな、緑色に繁茂《しげ》り栄えた島の中には、稀《まれ》に居る大きな蟻《あり》のほかに、私たちを憂患《なやま》す禽《とり》、獣《けもの》、昆虫《はうもの》は一匹も居ませんでした。そうして、その時、十一歳であった私と、七ツになったばかりのアヤ子と二人のために、余るほどの豊饒《ゆたか》な食物が、みちみちておりました。キュウカンチョウだの鸚鵡《おうむ》だの、絵でしか見たことのないゴクラク鳥だの、見たことも聞いたこともない華麗《はなやか》な蝶だのが居りました。おいしいヤシの実だの、パイナプルだの、バナナだの、赤と紫の大きな花だの、香気《かおり》のいい草だの、又は、大きい、小さい鳥の卵だのが、一年中、どこかにありました。鳥や魚なぞは、棒切れでたたくと、何ほどでも取れました。
 私たちは、そんなものを集めて来ると、ムシメガネで、天日《てんぴ》を枯れ草に取って、流れ木に燃やしつけて、焼いて喰べました。
 そのうちに島の東に在る岬と磐《いわ》の間から、キレイな泉が潮の引いた時だけ湧《わ》いているのを見付けましたから、その近くの砂浜の岩の間に、壊れたボートで小舎《こや》を作って、柔らかい枯れ草を集めて、アヤ子と二人で寝られるようにしました。それから小舎《こや》のすぐ横の岩の横腹を、ボートの古釘で四角に掘って、小さな倉庫《くら》みたようなものを作りました。しまいには、外衣《うわぎ》も裏衣《したぎ》も、雨や、風や、岩角に破られてしまって、二人ともホントのヤバン人のように裸体《はだか》になってしまいましたが、それでも朝と晩には、キット二人で、あの神様の足※[#「登/几」、第4水準2−3−19]《あしだい》の崖に登って、聖書《バイブル》を読んで、お父様やお母様のためにお祈りをしました。
 私たちは、それから、お父様とお母様にお手紙を書いて大切なビール瓶の中の一本に入れて、シッカリと樹脂《やに》で封じて、二人で何遍も何遍も接吻《くちづけ》をしてから海の中に投げ込みました。そのビール瓶は、この島のまわりを環《めぐ》る、潮《うしお》の流れに連れられて、ズンズンと海中《わだなか》遠く出て行って、二度とこの島に帰って来ませんでした。私たちはそれから、誰かが助けに来て下さる目標《めじるし》になるように、神様の足※[#「登/几」、第4水準2−3−19]《あしだい》の一番高い処へ、長い棒切れを樹《た》てて、いつも何かしら、青い木の葉を吊しておくようにしました。
 私たちは時々|争論《いさかい》をしました。けれどもすぐに和平《なかなおり》をして、学校ゴツコや何かをするのでした。私はよくアヤ子を生徒にして、聖書の言葉や、字の書き方を教えてやりました。そうして二人とも、聖書を、神様とも、お父様とも、お母様とも、先生とも思って、ムシメガネや、ビール瓶よりもズット大切にして、岩の穴の一番高い棚の上に上げておきました。私たちは、ホントに幸福《しあわせ》で、平安《やすらか》でした。この島は天国のようでした。

       *

 かような離れ島の中の、たった二人切りの幸福《しあわせ》の中に、恐ろしい悪魔が忍び込んで来ようと、どうして思われましょう。
 けれども、それは、ホントウに忍び込んで来たに違いないのでした。
 それはいつからとも、わかりませんが、月日の経《た》つのにつれて、アヤ子の肉体が、奇蹟のように美しく、麗沢《つややか》に長《そだ》って行くのが、アリアリと私の眼に見えて来ました。ある時は花の精のようにまぶしく、又、ある時は悪魔のようになやましく……そうして私はそれを見ていると、何故かわからずに思念《おもい》が曚昧《くら》く、哀しくなって来るのでした。
「お兄さま…………」
 とアヤ子が叫びながら、何の罪穢《けが》れもない瞳《め》を輝かして、私の肩へ飛び付いて来るたんびに、私の胸が今までとはまるで違った気もちでワクワクするのが、わかって来ました。そうして、その一度一度|毎《ごと》に、私の心は沈淪《ほろび》の患難《なやみ》に付《わた》されるかのように、畏懼《おそ》れ、慄《ふる》えるのでした。
 けれども、そのうちにアヤ子の方も、いつとなく態度《ようす》がかわって来ました。やはり私と同じように、今までとはまるで違った…………もっともっとなつかしい、涙にうるんだ眼で私を見るようになりました。そうして、それにつれて何となく、私の身体《からだ》に触《さわ》るのが恥かしいような、悲しいような気もちがするらしく見えて来ました。
 二人はちっとも争論《いさかい》をしなくなりました。その代り、何となく憂容《うれいがお》をして、時々ソッと嘆息《ためいき》をするようになりました。それは、二人切りでこの離れ島に居るのが、何ともいいようのないくらい、なやましく、嬉しく、淋しくなって来たからでした。そればかりでなく、お互いに顔を見合っているうちに、眼の前が見る見る死蔭《かげ》のように暗くなって来ます。そうして神様のお啓示《しめし》か、悪魔の戯弄《からかい》かわからないままに、ドキンと、胸が轟《とどろ》くと一緒にハッと吾《われ》に帰るような事が、一日のうち何度となくあるようになりました。
 二人は互いに、こうした二人の心をハッキリと知り合っていながら、神様の責罰《いましめ》を恐れて、口に出し得ずにいるのでした。万一《もし》、そんな事をし出かしたアトで、救いの舟が来たらどうしよう…………という心配に打たれていることが、何にも云わないまんまに、二人同志の心によくわかっているのでした。
 けれども、或る静かに晴れ渡った午
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