なければならぬ事になるでしょう……」
「無論ですね……それは……」
「……そこで先ずその第一着手として、自分に嫌疑がかからぬように、亜米利加《アメリカ》に行くと称して家出をした。それから相当の時日が経った後《のち》に姿をかえながら、兇器を携《たずさ》えて源次郎氏を附け狙っていると、そのうちに源次郎氏が、大雪に誘われて狩りに出かけるところを発見したので、好機到れりという訳で、村から遠く離れた、あの山の上の……何とかいう処でしたね……そうそう一本榎に待ち伏せて狙撃《そげき》をした。……ところが雪の中の事ですから、思ったより早く相手に発見されて、第一弾が命中しなかった……というような事も考えられますが、とにも角にもその雪の山上で、物凄い撃ち合いが始まった事は、誰にも想像され得るでしょう。……しかし源次郎氏の武器が二連発の散弾銃で、当九郎の獲物《えもの》がピストルの五連発か何かであったとすると、到底相手にはなり切れないので、源次郎氏は思わず後《あと》へ退《さが》って行くうちに、足場を誤って谷川に墜落した。そこで当九郎はその死骸から貯金だけを奪い取って、二円なにがし入りの蟇口《がまぐち》を故意に残して立ち去ったもの……と想像する事が出来るでしょう」
「……驚いた……全くその通りです。養父《ちち》の考えと一分一厘違いありません」
「そうでしょう……これが一番常識的な考え方で、前後を一貫した事実のすべてとピッタリ符合するのですからね」
「そうです。それ以外に考えようは無いと思われるのですが」
「そうでしょう……しかしここで、今一歩退いて別の方面から観察したら、どんなものでしょうか……つまりこの事件には、そのような犯人が全然居なかったとしたら、どんな事になるでしょうか」
「……エッ……犯人が居ない……」
「そうです。つまりその当九郎という甥が、この事件に結び付けられているのは、人々の想像に過ぎないとしたらどうでしょうか……実際と一致する想像は、よく正確な推理と混同され易いものですからね……甥の当九郎はホントウに青雲の志を懐《いだ》いていたので、そのまま一直線に外国へ行ってしまって、この方面には全然寄り附かなかったとしたら……どうでしょうか……そんな事はあり得ないと云えましょうか」
「サア……それは……」
「……又……実松氏の貯金を無くしたのは誰でもない実松氏自身で、その金は遊興費か何かに費消されてしまったものとしたら、どうでしょうか。そんな風には考えられぬでしょうか」
「……………」
「……そういう風に三ツの出来事をバラバラにして、一ツ一ツに平凡な出来事として考えて行く方が、この事件を計画的な殺人と考えるよりも却《かえ》って常識的で、非小説的ではないでしょうか……すなわち事実に近いと思われはしないでしょうか」
「……そ……そうすると……」
と健策は眼を光らせながら、すこし狼狽したように身を乗り出した。
「そうすると何ですか……実松氏が発射した二発の散弾は、やはり本当の獣《けもの》か何かを狙ったものなんですね」
「イヤ……そこなのです」
と黒木は反対に反《そ》り身になった。さも得意そうに白湯《さゆ》を一口飲むと、悠々と舌なめずりをした。
「……私もそう考えたいのです。……が……そうばかりは考えられない別の理由《わけ》があるのです。実を云うとこれから先が私の本当の直感ですがね」
「……その直感というのは……」
と健策は益々身を乗り出した。同時に黒木はいよいよ反《そ》りかえって行った。
「……手早く申しますと実松源次郎氏は、その払暁《よあけ》前の雪の中で、或る恐怖に襲われたのではないかと思われるのです」
「……或る恐怖……」
「さよう……つまり実際には居ない、或る怖《おそ》るべき敵を、雪の中に認めて、その敵と闘うべく、二発の散弾を発射されたものではないかと考えられるのです。そうすれば一切の事実が何等の不自然も無しに……」
「……チョット待って下さい」
と健策は片手をあげた。次第に不安げな表情にかわりながら……。
「その怖るべき敵と云われるものの正体は何ですか……たとえば一種の精神病的な幻覚みたようなものですか」
黒木はキッパリとうなずいた。
「さよう……その幻影は要するに、実松氏固有の脅迫《きょうはく》観念が生んだ、ある恐ろしいものの姿だったに違いありません。鳥だか、獣《けもの》だか、何だかわかりませんが……」
健策は愕然《がくぜん》となった。何事か思い当ったらしく唾液《つば》を嚥《の》み込み嚥み込みした。しかし黒木は構わずに話を続けた。
「実松氏はその幻影と闘うべくレミントンの火蓋を切られたのです。しかし、もとより実際に居ない敵なのですから、いくら散弾でも命中する気づかいはありません。敵は益々眼の前に肉迫して来ましたので、実松氏は恐怖
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