学校に籍を置いて勉強しているうちに、同じ下宿に居た関係から私の養父《ちち》の玄洋と懇意になったのだそうで……」
「ハハア。チョット……お話の途中ですが、その故郷の親類が一人も居なくなった理由《わけ》というのは、今でもやはり、おわかりになっていないのですね」
「そうです。何故だかわからないままになっているのです……しかしタッタ一人その源次郎氏の甥《おい》というのが残っていたそうです。たしかに源次郎氏の姉の子供だと聞きましたが、それが、実松当九郎といって、この事件の犯人と眼指《めざ》されている二十二三歳の青年なんです。尤《もっと》も今は四十以上の年輩になっている訳で、ちょうど貴方位の年恰好《としかっこう》だろうと思われるのですが」
「ハハア。どんな風采の男か、お聞きになりましたか」
「スラリとした色の白い……女のような美青年だったそうです。何でもズット以前から叔父の源次郎氏に学費を貢《みつ》いでもらって、東京で勉強していたけれども、不良少年の誘惑がうるさいからこっちへ逃げて来たという話で……そうしてこの病院の加勢をしながら開業免状を取るというので、村外れの叔父の家から毎日通っていたそうですが、頭のステキにいい、何につけても器用な男で、人柄もごく温柔《おとな》しい方だったので、養父《ちち》の玄洋が惚れ込んでしまって、うちの養子にしようかなどと、養母《はは》に相談した事も、ある位だったそうです」
「ハハア。玄洋先生は余程開けたお方だったのですな」
「そうですね。養父《ちち》はどっちかと云えば人を信じ易い性質《たち》だったのでしょう。品夫の実父の源次郎氏の事なども、獣医には惜しい立派な人物だと云って賞《ほ》め千切《ちぎ》っていたようですが、よく聞いてみるとそれ程の人物でもなかったようで、こんな村の獣医相当の人間だったのでしょう。一見して変り者に見える、黙り屋の無愛想者だったそうで、友達なども養父《ちち》の玄洋以外に一人も無かったそうです。……趣味といっては唯《ただ》銃猟だけだったそうですが、これは余程の名人だったらしく、十年ばかり居る間に、S岳界隈の山の案内は、所の猟師よりももっと詳しく知り尽していたという事で……気が向くと夜よなかでもサッサと支度して、鉄砲を荷《かつ》いで出て行くので、あくる朝になって家《うち》の者が気が付く事が多い……そうして帰って来ると、いつもこの上なしの上機嫌で、その獲物を肴《さかな》に一パイ飲《や》りながら、メチャメチャに妻君を熱愛するのが又、近所|合壁《がっぺき》の評判になっていたそうですがね。ハハハハハ。しかし、さもない時には、気が向かない限り、どこから迎えに来ても断って、酒ばかり飲んで寝ころんでいるといった調子で……金なども銀行や郵便局には預けずに、残らず現金にして、どこかにしまっておく……どこに隠しているかは妻君にも話さないという変り方だったそうです。……ただその妻君というのが、ソレ者《しゃ》上りらしい挨拶上手で、亭主の引きまわしがよかったために、やっと人気をつないでいたという事ですが……」
「なる程。そんな事で、とにかく琴瑟《きんしつ》相和《あいわ》していた訳ですな」
「そうです……ところが、その甥の当九郎という青年が実松家に入り込むようになると、その夫婦仲が、どうも面白くなくなったそうです。……これは品夫が生れる前から、長いこと雇われていたお磯という婆さんの話ですが、何故かわからないけれども源次郎氏の当九郎に対する愛情というものは吾《わ》が児《こ》以上だったそうで、当九郎に対するアタリが悪いと云っては、いつも品夫の母親を叱ったものだそうです」
「ハハア……一種の変態ですかな」
「そうだったかも知れません……とにかく今までに無い夫婦喧嘩が、そんな事で時々起るようになったそうですが、そのうちに丁度今から二十年|前《ぜん》の事……品夫の母親が、品夫を生み落したまま産褥熱《さんじょくねつ》で死ぬと間もなく、甥の当九郎が又、何の理由も無しに、叔父の源次郎氏と私の養父《ちち》へ宛てて、亜米利加《アメリカ》へ行くという置き手紙をしたまま、行方不明になってしまったものだそうです」
「ハハア。成る程……ところでその甥はホントウに亜米利加《アメリカ》へ行ったのでしょうか」
「サア……それが疑問の中心なので、その筋では、これが当九郎の叔父殺しの前提だと睨《にら》んでいたそうですが」
「成る程……尤《もっと》も至極な疑問ですナ」
「……とにかく事件は、その甥が家出してから、三箇月ばかり経った後《のち》に……明治四十一年の三月の中旬でしたかに起ったものだそうで……源次郎氏は妻君に死に別れた上に、可愛がっていた甥にまで見棄てられて、赤ん坊の品夫と、お磯婆さんの三人切りになったので、多少|自棄《やけ》気味もあったのでしょう。それ
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