何かに費消されてしまったものとしたら、どうでしょうか。そんな風には考えられぬでしょうか」
「……………」
「……そういう風に三ツの出来事をバラバラにして、一ツ一ツに平凡な出来事として考えて行く方が、この事件を計画的な殺人と考えるよりも却《かえ》って常識的で、非小説的ではないでしょうか……すなわち事実に近いと思われはしないでしょうか」
「……そ……そうすると……」
と健策は眼を光らせながら、すこし狼狽したように身を乗り出した。
「そうすると何ですか……実松氏が発射した二発の散弾は、やはり本当の獣《けもの》か何かを狙ったものなんですね」
「イヤ……そこなのです」
と黒木は反対に反《そ》り身になった。さも得意そうに白湯《さゆ》を一口飲むと、悠々と舌なめずりをした。
「……私もそう考えたいのです。……が……そうばかりは考えられない別の理由《わけ》があるのです。実を云うとこれから先が私の本当の直感ですがね」
「……その直感というのは……」
と健策は益々身を乗り出した。同時に黒木はいよいよ反《そ》りかえって行った。
「……手早く申しますと実松源次郎氏は、その払暁《よあけ》前の雪の中で、或る恐怖に襲われたのではないかと思われるのです」
「……或る恐怖……」
「さよう……つまり実際には居ない、或る怖《おそ》るべき敵を、雪の中に認めて、その敵と闘うべく、二発の散弾を発射されたものではないかと考えられるのです。そうすれば一切の事実が何等の不自然も無しに……」
「……チョット待って下さい」
と健策は片手をあげた。次第に不安げな表情にかわりながら……。
「その怖るべき敵と云われるものの正体は何ですか……たとえば一種の精神病的な幻覚みたようなものですか」
黒木はキッパリとうなずいた。
「さよう……その幻影は要するに、実松氏固有の脅迫《きょうはく》観念が生んだ、ある恐ろしいものの姿だったに違いありません。鳥だか、獣《けもの》だか、何だかわかりませんが……」
健策は愕然《がくぜん》となった。何事か思い当ったらしく唾液《つば》を嚥《の》み込み嚥み込みした。しかし黒木は構わずに話を続けた。
「実松氏はその幻影と闘うべくレミントンの火蓋を切られたのです。しかし、もとより実際に居ない敵なのですから、いくら散弾でも命中する気づかいはありません。敵は益々眼の前に肉迫して来ましたので、実松氏は恐怖
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