げて頻《しき》りに説明していた。
「この雑誌は丸々珍聞という悪い雑誌ですが、私の悪口が盛んに掲載されるのでこの頃は皆、茂丸珍聞と呼んでおります。私も大分有名になりましたよ」
そうした説明に続いて、伊藤、山県、三井、三菱などいう名が出ていたのを、私は何故という事なしにシッカリと記憶していた。
その中《うち》に私の末弟の五郎が生まれると間もなく、お祖父様とお祖母様が東京をお嫌いになって頻《しき》りに生れ故郷を恋しがられるので父は閉口したらしく私と三人で九州に別居するように取計《とりはか》らった。一時博多の北船《きたふね》という処に仮寓して後《のち》、福岡市の西職人町に借家|住居《ずまい》をした。その時にお祖父様は中風に罹《かか》られたが、父は度々帰省してお祖父様を見舞い、その都度に、大工を呼んで板塀や窓の模様を変え、右半身の麻痺硬直したお祖父様に適合する便器を作らせ、又はお祖父様の股間にタムシが出来た時に、色々な薬を配合して手ずから洗って上げたりした。
父が何でも独創でなければ承知しない性格と、後年の建築道楽の癖を、私はこの時から印象して、心から「お父さんはエライ」と思い込んでいた
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