ロス(ズックの事)の革鞄《かばん》から出してくれた。それが新聞を見た初まりで、私が七歳の時であった。
お祖父様のお仕込みで、小学校入学前に四書の素読《そどく》が一通り済んでいた私は、その振仮名無しの新聞を平気でスラスラと読んだ。それをお祖父様の塾生が見て驚いているのを、父が背後から近づいてソーッとのぞいていることがわかったので、私は一層声を張上げて読み初めた。すると父は何と思ったかチェッと一つ舌打ちして遠ざかって行った。後《あと》でお祖母様から聞いたところによると、その時に父はお祖父様にコンナ事を云ったという。
「十歳で神童。二十歳で才子。三十でタダの人とよく申します。直樹(私の旧名)は病身のおかげでアレだけ出来るのですから、なるべく学問から遠ざけて、身体《からだ》を荒っぽく仕上げて下さい」
これにはお祖父様が不同意であったらしい。益々力を入れて八歳の時には弘道館述義と、詩経《しきょう》の一部と、易経《えききょう》の一部を教えて下すったものであるが、孝経《こうきょう》は、どうしたものか教えて下さらなかった。
とはいえ私は十六七歳になってから、こうした父の言葉を痛切に感佩《かんぱい
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