玄洋社葬にしたいという電報が来たから、これも独断で拝承して後《のち》に一同に報告した。
父は生前、死体の全部を大学に寄附する旨を大勢の人に云っていたので、母が情なさそうな顔をするのを押し切って、その通りに決行した。その前に父のデスマスクを斎藤という人が取って下すったが、そのデスマスクを取る直前の父の顔は実に満足そうな……生前に見たドノ顔よりも気高い、懐しい微笑を含んでいた。さてはこれが父のホントウの顔であったかナと思うと、又タマラなくなりそうになったので慌てて湯殿に行って顔を洗った。
葬式は増上寺で盛大に行われた。色々、大勢の人々がやって来て告別の焼香をして下すったが、その中に古びたカンカン帽、素足に駒下駄、浴衣がけにステッキ一本の書生さんが、アッサリと焼香し、叮嚀に叩頭《こうとう》して行ったのを、参列の人々の中で喜んでいる人が相当あった。
「アイツは愉快な奴だ。故人はアンナ調子の人間が一番好きだったからね。あの気軽く焼香に来てくれた心意気が嬉しいじゃないか」
「一層の事、告別式をどこかの野ッ原に持出して、野人葬とすればよかったかも知れないね。野辺送りという位だから……ハハハ」
悔状《くやみじょう》は一々私が開封して眼を通したが、やはり愉快なのが混っていた。
「私は近所の爺さんから頼まれて杉山さんの霊前にこの和歌を捧げてくれという事ですから、この手紙を上げます。私は杉山という人がドンな人だか、よく知りませんが謹んでお悔みを申上げます」
といったような朗らかなのや、お悔みのつもりであろう、
「杉山先生が亡くなられても、君に忠義という事は決して忘れません」
と簡単に楷書して泣かせるのや、
「先生は私にとって実の親よりも有難い人でした。どうぞ今後も、お父さんに代って私を可愛がって下さい」
といった、いじらしい意味の長文や、
「新聞で見てビックリしました。香奠《こうでん》十円送ります」
という奇特な方や、色々であったが、一番痛快でタタキ付けられたのは敬弔の文字を印刷したカードを二銭の開封にして来た一通であった。この人は日本国中を皆殺しにするつもりで、こんなカードをフンダンに印刷して用意しているのじゃないか知らんと思って茫然となった。
九州で玄洋社葬をして頂くために、東京駅を出発したのは八月二十八日であった。
駅頭まで見送りに来た頭山満先生が、父の遺骨を安置した車の前に立ちながら、見栄も何も構わずに涙をダクダクと流していられるのを見た時に、私は顔を上げ得なかった。
広田弘毅閣下も泣いておられたそうであるが、これは気付かなかった。
「頭山さんが頭山さんが」
と云って、今年六十七になる母親が、国府津《こうづ》附近まで泣き止まなかったのには全く閉口した。慰める言葉が無かった。
父が生前に社会の父であったかドウか私は知らない。けれども生前の父をこれ程までに思って、葬式までして下すった世間の方々が、今からは疑いもなく私の父の死後の父になって下すった訳である。
あらゆる意味に於て不肖《ふしょう》の子である私は、父の生前に思わしい孝行を尽し得なかった。これからは父の死後の父に、心の限り孝行をして行きたい。
底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年12月3日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:小林徹
2001年12月5日公開
2006年3月3日修正
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