クスの傍《かたわら》に住んでいた女王クレオパトラの鼻が、世界の歴史を支配したという事も亦、何等かの暗示を人類に与えずには措《お》きませぬ。些《すくな》くとも鼻の表現の研究上、かのスフィンクスと相対して、最も奇抜な、そして興味津々たるコントラストを見せている事を否定する訳に参りませぬ。
「彼女――クレオパトラの鼻が、今|些《すこ》し低かったならば、羅馬《ローマ》の歴史を通じて世界の歴史に変化を与えたであろう」
という云い伝えが、もし彼女の鼻の静的表現の高さに就いてのみ解説されたものであるとするならば、どうしても鼻の表現の真相を穿《うが》ったものとは考えられませぬ。少くとも近所にスフィンクスが控えている以上、今些し意味深長な理由があるものと考えたいのであります。
クレオパトラは美人の代名詞として今日迄も謳《うた》われている位の容色の持ち主であったそうであります。その女性としてのプライドが如何に高かったかは想像するに難くありませぬ。同時に世界文化の先進国たるエジプトの女王たるプライドが、如何に極度以上にまでその鼻の表現を高潮しおった事でありましょうか。彼女の鼻が今些し低かったならば云々という言葉は、この場合精神的方面からの批判と見るが至当ではあるまいかと考えられます。
シーザーは、はるばる羅馬から彼女を見物に来て、この超世界的の女王の鼻の表現を見ると、そのまま黙って羅馬に帰ってしまったと伝えられております。
傲岸不屈、世界を眼下に見るシーザーの鼻の表現が、如何なる男性をも自己の美と女王としての権威の膝下に屈服せしめなければ措かぬというクレオパトラの鼻の表現と相容れ得なかった事は、想像するに難くありませぬ。
こうして世界の運命は、男性と女性の最高のプライドの鉢合せに依って決せられたのであります。
これに反してアントニーは、彼女の鼻の外面的美的条件を見ただけで、これに惑溺したのだそうであります。そうして引き続いてクレオパトラに愛せられたところを見ると、アントニーの鼻の表現は余程のお人好しか好色漢の色彩を帯びたものであったろうと想像されます。
男性の性格の両面とも云うべき「愛」と「功名」――これを代表したこの二つの鼻の表現が、彼女の鼻に対して結んだ因果関係――それに依って支配された二英雄の運命――それに依って支配された羅馬の将来――それに依って運命づけられた世界の今日――。
それは世界歴史の頁《ページ》の大部分を犠牲とし、不可思議の国|埃及《エジプト》の王宮を舞台面として演出された、至大至高の鼻の表現劇ではなかったでしょうか。今日の人類の文化は、未だこの鼻の表現劇の影響から免れ得ていないのではありますまいか。
クレオパトラとアントニーは、各《おのおの》自分の鼻の表現に依って支配された運命に従って、スフィンクスの膝下に斃《たお》れたと伝えられております。
一方シーザーは、羅馬に於てブルタスの刃に刺されました。これはその鼻の野心満々たる表現が、識《し》らず識らずの裡に民衆の反感を買っていたのではないかと想像する事が出来るのであります。
人類史と謎語
――運命と鼻の表現(四)
こうして世界歴史の表面を飾る人々の鼻の表現は、人類進化の道程に於ける何等かの意義を象徴して、その時代の人々を導きました。それ等の人々の盛衰興亡に一新紀元を劃し、それ等の人々が作る文化の栄枯消長に一転機を与えました。そうして後世の人々に、何等かの霊的又は物的の暗示を残して行きました。
骸骨の塔の高さを誇る鼻の種族は、敵を見る事草木の如き剽悍《ひょうかん》無残の鼻を真っ先に立てて、毒矢毒槍を揮いました。
版図の大を誇る鼻の一団は、智勇豪邁、気宇万軍を圧する鼻に従ってこれに殉じました。
石から大理石に、大理石から銅に、銅から金銀に、その文化の光明を誇る鼻の群れは、公明聡慧一世に冠たる鼻を仰いでその徳を讃美しました。
現界の富強を希《こいねが》わず、神界の福楽を欣求《ごんぐ》する鼻を貴《たっと》ぶあつまりは、崇高幽玄、霊物を照破する鼻に帰依して財宝身命を捧げました。
吾れに従う人々の安息の地を求むべく、燦《さん》たる北斗星の光を心あてに、沙漠をうれいさまようた鼻がありました。
精神的にも物質的にも茫々たる不毛の国土を開拓して、隆々たる文化を育《はぐく》みつつ、世界を併呑すべく雄視した鼻がありました。
高潔|沈毅《ちんき》な鼻の表現に万軍の信頼を集めつつ、天地を震撼する大魔王の鼻を一撃のもとに打ち砕いた英雄がありました。
文化的爛熟期に入った列国代表者のデリケートな鼻の表現の間を、新興民族の蛮勇を象徴した鼻の表現で、片っ端から押しわけて行った巨人がありました。
吾《わが》民族の文化的実力を過早に自惚《うぬぼ》れて大戦争を起こし、遂に滅亡に近い運命を招いた帝王の鼻がありました。
断頭台上に端然として告別の辞を述べ、信念と慈愛の表現を万世に残して、人々の涙を絞らせる美人の鼻がありました。
出しゃばりたい一パイの鼻の表現をふりまわして、数十万の生命を弄《もてあそ》び殺した女王の鼻がありました。
戦争の惨禍を坐視し得ぬ鼻の表現から、世界的の博愛事業を生み出して、今日まで幾千万の人々をして人類愛に感泣せしめつつある婦人がありました。
天体の推移を睨み詰めつつ、古井戸に落ちた鼻の表現がありました。
徳業にいそしんで九年面壁した鼻がありました。
寡頭政治から民衆政治へ移すべく、街頭に怒号する鼻がありました。
宗乗の誤謬を匡《ただ》すべく、火に灼《や》かれる迄も正理を標榜した鼻がありました。
形式を破って自由の天地を打開すべく熱狂した鼻がありました。
伝統の文化から個性の文化へ導くべく悶死した鼻がありました。
高い鼻を見ると、無意識にこれを礼拝しました。
大きい鼻に出合うと、無条件でその庇護を受けようとしました。
強い鼻にぶつかると、訳も無くこれに服従しました。
その代り些しでも弱い鼻は圧倒しよう、小さい鼻は併呑しよう、低い鼻は蹂躙しようと、互に押し合いへし合いました。
こうして世界の歴史は芋を洗うように転変し、その文化は雑草のように興亡しました。
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テン テレツク テレツク ツ
テン テレツク テレツク ツ
という囃子に連れて、恐ろしく高い鼻と、無暗《むやみ》に低い鼻と、全く開け放しの鼻と、三種の鼻が現われてヒョコリヒョコリと踊りまわる。
世界歴史の表面を見渡していると、どことなくこんな感じがします。
現代の人類社会の生活を見渡しても、こんな気持ちがして仕方がない時があります。
何だかタヨリナイような――可笑《おか》しいような――自烈度《じれった》いような――のんびりしたような――面白いような――馬鹿馬鹿しいような――有意義なような――無意義なような――。
世界はどこまで行っても、おかめとヒョットコと天狗の踊りに過ぎないものでしょうか。
人類の生活はどこ迄行っても、馬鹿囃子位のものなのでしょうか。
そうして人類の鼻の表現は、行き詰まったところがこの三つの鼻の表現のうちどれかになってしまうよりほかに、仕方がないものでしょうか。
人間というものは、そんなつまらない使命のために生れて来ているものでしょうか。
これは一つの大きな謎語《なぞ》であります。
万有進化と鼻
――運命と鼻の表現(五)
「謎語」という言葉はかの埃及《エジプト》の大怪像スフィンクスを呼び出す言葉であります。
世界中の鼻の表現のうちで、この鼻の表現研究上の根本的疑問を解決する事が出来るものは、かの鼻の欠け落ちたスフィンクス像よりほかにありませぬ。
スフィンクスは黙ってこの疑問を解決しております。
――頭は人間――身体《からだ》は獣《けもの》――と。
スフィンクスが出現してから二千年以上|経《た》って後《のち》、人間はやっとこの暗示を解決する事が出来ました。そうしてこう云いました。
――獣から人間へ――
この理屈を説き証したものが進化論と名付けられております。
進化論の説くところに依りますと、この――獣から人間へ――という事は、天地間、ありとあらゆる森羅万象が進化しているという事実の一端を示した事になるのであります。
――無生物から生物へ――
――生物から植物と動物へ――
――植物は――苔から草へ――草から木へ――
――動物は――虫から魚へ――魚から鳥獣へ――鳥獣から人間へ――
皆進化している――
この進化の原動力は「自己の愛護と向上発展」云々――
何だか中等学校のお講義めいて来ましたが、この証明に依ると、何だか宇宙自身にも本来の「自己の愛護と向上進展」があるそうであります。そうしてその進化の方向は、矢張り進化論の説明と同じ方向であるスフィンクスの暗示、
――獣から人間へ――
というのに一致しているのではないかと考えられます。これが宇宙進化の鼻の向うところで、これがスフィンクスの鼻に依って表現されていたのではありますまいか。
昔は交通が不便でありましたために、お釈迦様やイエス様は、その当時の文化の先進国たる埃及へ洋行された事はなかったものと見えます。もしあんな頭のいい人が一度でも埃及へ行ってスフィンクスを見ましたならば、あんな説法の仕方をしなかったであろう、その流れを汲む人々が今日になってあんなに進化論と喧嘩をしなくてもよかったろうにと、今更遺憾に堪えませぬ。
しかしその上に今一つ遺憾な事を云えば、その進化論も、獣から人間が出て来たところまでしか証明しておりませぬ。人間からこんどは何になるかという事に就いては少しも説明を加えておりませぬ。
……スフィンクスもここまでしか暗示しておりませぬ。
「それから先は説明の限りに非ず」
というのか、
「それから先はわからぬ」
というのか、それとも又、
「それから先はおしまい」
というのかわかりませぬ。鼻の表現を隠して知らん顔をしております。そうしてこれを永久の謎語として人類に暗示しつつ、沙漠の方を向いております。
そこでおかめとヒョットコと天狗様とが飛び出して、馬鹿囃子を初めなければならぬ事になります。
スフィンクスから欠き落とされた表現は、数千里を隔てた日本に吹き散って来ました。
そうしてその中からヒョットコとおかめと天狗様が生れたのではないかと思われる位、スフィンクスと馬鹿囃子の関係は密接なものがあるのであります。
まことに突飛《とっぴ》といって、これ位突飛な対照はありませぬ。しかし何しろ古今独歩の鼻の表現の中に現われた、最も偉大不可思議なる神様達の因縁事でありますから、とても人智の及ぶところではありませぬ。只謹んで神意を伺い奉るよりほか致し方ないのであります。
呪われた鼻
――運命と鼻の表現(六)
獣《けもの》からやっとこさと人間へ進化して来た鼻は、初めて地面から手を離して四方をキョロキョロ見廻しました。ここまではスフィンクスの暗示に依って進化して来たのでありますが、これから先どこに向って進化向上していいか見当がつかなかったからであります。
意地の悪いスフィンクスは折角《せっかく》ここまで連れて来ながら、その鼻の表現を隠して人間を五里霧中に突放《つきはな》しました。
突放された人間がヒョットコでありました。
ヒョットコは見る物毎に驚きました、呆れました。人間の五官の世界が果しもなく広く美しく眩しく荘厳に不可思議なのに肝を潰してしまいました。えらい処へ来たと思いました。大変なものばかりであると思いました。そのために鼻の穴がスッカリ開け放しになってしまいました。
オッカナビックリ歩きまわって見ました。しかしいくら歩きまわっても、只驚くべき怪しむべき事ばかりで、行っても行っても同じ風が吹いているという事だけがわかりました。どこへどう落ち着いて、どんなに日を送っていいか、まるっきり見当がつかなくなりました。
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