かに囚《とら》われた時、その国家や民族の運命は下り坂となるのであります。
 こんな風に観察して参りますと、この三つのお面が活躍する「お神楽《かぐら》」というものは、鼻の表現によって象徴された無自覚な性格の分解踊りとも見られるようであります。同時に馬鹿囃子という音曲の名前も、まことにふさわしいものとなって来るのであります。
 かの三つの鼻の表現が、この馬鹿囃子に連れて動きまわる。極めて低級な芸術的価値しかない伝統的な踊りをおどる。そのつまらない単調子さのうちにどことなく騒々しいような、淋しいような――面白いような、自烈度《じれった》いような気がする。人生の或る基調に触れて人の心をひきつけるようなところがある。
 ……実は永遠に無自覚な人類生活の悲哀を「鼻の表現」と「馬鹿囃子」に依って象徴した最も哲学的な舞踊劇である、人生もしくは宇宙その物の諷刺である……という事を、舞っているものも見ている人も、知らずにいるのではあるまいかと考えられて来るのであります。

     本来無表現
       ――鼻の動的表現(五)

 この他《ほか》古今の文献、詩歌小説、演劇講談、落語俗謡、その他《た》の
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