には、血も涙も褪せ果てた見すぼらしい本心の姿が見えるというのは、さもあるべき事でありましょう。
 この故に大聖孔子は、一野翁老子の前に頭が上らなかったのではありますまいか。
 かかるが故に、歴山《アレキサンダア》大王は一乞食学者ダイオゼニアスを奈何《いかん》ともする事が出来なかったのではないでしょうか。
 賤《しず》が伏せ屋の見すぼらしい母子《おやこ》が只の人でないと眼をつけられ、綾羅錦繍《りょうらきんしゅう》の裡《うち》に侍《かし》ずかるる貴婦人がお里を怪しまるるそもそもの理由も、亦《また》ここにあるのではありますまいか。
 骨相学者や運命判断の原理は別としましても、その人の経歴と性格と運命とが、鼻の表現を中心として循環転変して行きつつある事は疑う余地ありませぬ。
 この道理は歴史の上にも現われて、成る程と思わせられる事が甚だ多いのであります。
 歴史上に活躍する人物の性格と、これに対する群集心理との結合は何に依って成り立っているか。何に依って認められ、何に依って反響を招きつつあるか。
 思うてここに到る時、鼻の表現の権威の偉大さに驚かざるを得ないのであります。
 世界の歴史は誇張し
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