鼻の表現は随分遠方からでも見えるらしいのであります。
 議会壇上に立って満場の選良に対して、
「本大臣は本日ここに諸君に見《まみ》ゆる光栄を有する事を喜ぶ」
 とか何とか音吐朗々とやっております。然るに内心では、
「ヤレヤレ又馬の糞議員共が寄り集まった。此奴《こやつ》等と見え透いた議論をしなければ日が暮らされぬのか。要するに余計な手数なんだが、馬鹿馬鹿しい」
 という考えでおりますと、不思議に議場の隅に生あくびを噛み殺す奴が出て来るのであります。御同様に議員さんが立ち上って、
「国家のために政府案に賛成するのだ」
 と拳固をふりまわしているのを見ると、
「これも役目だから」
 という気持がスッカリ鼻の表現をだれさせているために、「国家のため」という言葉が根っから感動を与えないのがあります。
 数万の聴衆を飽かせない大雄弁家でも、
「とにかくおれの演説はうまいだろう」
 という気もちを鼻の頭にブラ下げて壇を下《くだ》れば、人々の頭には演説の趣旨は一つも残らずに只、
「うまいもんだなあ」
 という印象だけが残ります。うっかりすると「演説使い」だとか「雄弁売り」――又は時と場合では「偽国士」とか「似而非《えせ》愛国者」とかいう尊号を受《うけ》ないとも限りませぬ。
 喰い詰めた宗教家はよく十字街頭に立ちます。鬚だらけの穢《きたな》い姿に殊勝気な眼付、口もとして、
「アア天よ。この恵まれざる人々を……」
 なぞやっております。しかしその下から、
「皆さん、欲をお離れなさい。そして私に御喜捨をなさい。私が神様に取次いで上げますから」
 という情ない心境をその日に焼けた鼻に表現しておりまするために、人々に嘲笑冷視を以て迎えられております。
 彼等はこれを知らずして只|徒《いたず》らに天を仰いで空しく世道人心の頽廃を浩歎《こうたん》しているのであります。思い切って鼻を往来の塵に埋めて、
「どうぞや、どうぞ」
 と言う乞食よりも賢明でないものである事を同時にその鼻が表明しているのであります。

     悪魔の鼻
       ――悪魔式鼻の表現(一)

 こうして鼻の表現は絶対に偽る事は出来ないものでしょうか。どんなにうまい口前で如何ように眼や口を使いわけても、それが心にもない事である限りいつも鼻の表現に裏切られていなければならぬ筈のものでありましょうか。喜怒色に表わさずというモットーを文字通りに守り得る程の社交的人物でも、鼻ばかりは常に喜怒を表わしていなければならぬ筈のものでありましょうか。
 フットライトの中に浮き出してあでやかに笑いまわる舞姫の鼻の表現のわびしさは、絶対に拭い除《の》ける事の出来ないものでしょうか。展望車の安楽椅子に金口《きんぐち》を輪に吹く紳士の鼻の淋しさは、何とも包む術《すべ》はないものでしょうか。リモシンのフクント硝子《ガラス》の裡《うち》に行く人をふり返らすボネットの蔭からチラリと見える白い鼻の愁い、悲壮な最後を遂げた名士の棺側に付添いながら金モール服揚々たる八の字鬚の誇り……これ等の表現は絶対的に不可抗力のあらわれとして諦められなければならないものでありましょうか。
 鼻の表現は眼や口なんぞと同じように支配する事は絶対に出来ないものと決っているものでありましょうか。
 もしこの鼻の表現を自由自在に使いこなして、如何なる出鱈目でも嘘っ八でも決して他人に看破されない位に充実した鼻の表現でもって、その真実である事を裏書きして行く事が出来るものがいるとしたら、その者は如何に恐るべき成功を世渡りの上に博する事が出来るでありましょうか。
 如何なる残忍酷薄な奴でもその鼻の表現に、自由自在に熱情の光を輝かす事が出来るものとしたならば、その人間の運命は如何に光明に満ち満ちたものとなり、その人間以外の社会生活は如何に暗黒な不安の裡《うち》に鎖《とざ》される事でしょうか。
 ここに「悪魔の鼻」と題しましたのは、この鼻の表現をある程度まで自由に支配しうる種族が人間社会にかなり沢山に存在しているのを総括して研究し批判して見たいためであります。
 一面から申しますれば、眼付きや口もとの表現で他人を欺き得るものはまだ徹底的に欺き得るものとは云えない……悪魔の名を冠《かぶ》らせるに足りない。鼻の表現に依って人を欺き得たもの――即ち全然虚偽の表現を徹頭徹尾真実の表現と見せかけて他人を心から感動せしめ得るものこそ真の悪魔でなければならぬという見方から、かように悪魔式鼻の表現なるものを仮定した次第であります。
 先ず悪魔の鼻の研究に先だって是非とも研究しておかなければならぬ鼻が一種類あります。それは名優と称する人種の鼻であります。

     名優の鼻
       ――悪魔式鼻の表現(二)

 昔から名優と名を付けられた程の人々は、その身体
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