鼻の表現
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)左様《さよう》で

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一々|独逸《ドイツ》式の例証を引いていたら、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]
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     はしがき

「鼻の表現」なぞいう標題を掲げますと、人を馬鹿にしている――大方おしまいにお化粧品の効能書きでも出て来るのじゃないかと、初めから鼻であしらってしまわれる方が無いとも限りません。
 しかし「鼻の表現」の一篇は、そんな不真面目なものではないのであります。初めからおしまい迄、「鼻の表現」なるものを、大にしては人類の盛衰、小にしては個人の死活にも関する大問題として極めて真面目に研究を進めて行ったものである事を、前以って御断り致しておきます。
 それならば、この「鼻の表現」の一篇は独特の研究に依《よ》って編み出された新しい表現法であるかと云うに、これも左様《さよう》でない事を御承知おき願わねばなりませぬ。
 昔から人類の中《うち》には随分この鼻の表現という問題に就いて苦心研鑽を重ねた人が多いのであります。唯明らかに「鼻の表現」と銘を打って公表したり、又は直接に「これは鼻の事である」と裏書をしていないだけで、その道を得た人の多い事、そうしてこれに就いて述べてある心得の夥《おびただ》しい事、書物だけにしても山を築くは愚か、殆ど想像も及ばぬであろうと考えられる位であります。
 それならば何故《なにゆえ》に「鼻」と名乗って研究しなかったか。又は如何《いか》なる仔細で「鼻の表現」として公表しなかったか。この仔細又は理由の在るところはこの全篇を読み終られましたならば成る程と膝を打たれるところがあるでありましょう。要するに「鼻の表現」の一篇はそれ等の受け売りであります。それ等の書物の中から必要に随って文句や意味を選み出しては綴り合わせ、綴り合わせては拾い出して、恰《あたか》も一個人の意見であるかのようにして研究を進めて行ったものに過ぎませぬ。
 これは一つは、今日迄に遂げられた各方面の先覚者の研究が実に到れり尽せりで、新発見のつもりで研究を進めて行っても直ぐに鼻が閊《つか》えるからで、今一つは、この研究に一々|独逸《ドイツ》式の例証を引いていたら、たった一つの問題の上に実に千百無数の各方面の説を積み上げなければならぬ事になります。それでは第一煩に堪《た》えません。それよりも註釈をそっくりそのまま受け売りにして説明致しました方が早わかりであると信ぜられるからであります。
 前口上はこれ位に致しまして、早速《さっそく》本論に取りかかります。

     鼻の使命とは?
       ――懐疑と解釈のいろいろ

 鏡にうつる御自分の鼻を御覧になると、御満足御不満足は別問題と致しまして、鼻の恰好その物に就いて一種のぼんやりとした疑問を懐《いだ》かれた方が些《すくな》くないであろうと考えられます。些くとも一生に一度位はきっと……
 鼻ってものはどうしてこんなに高くなっているのか知らん……
 何故こんな恰好をしているのであろう……
 物を嗅いだり呼吸をしたりするほかには何の役にも立たないのか知らん……
 なぞと考えられた御経験がおありになる事と想像されます。さもなくとも誰でも一寸《ちょっと》気になるものだけに、お茶受け話しか何かにこの疑問を持ち出して、結局は矢張りお茶受程度の無駄話に落ちてしまった……なぞいう御記憶も矢張り一生に一度位はおありになる事と推測されます。
 ここで強《し》いて鼻なるものの正体に解釈を下しますといろいろな事になります。
 人間万事を実用一点張りで解釈して行こうとする人は先《ま》ず……
「鼻というものは元来不必要なものである。平面の上に穴が二つ開《あ》いているだけで結構用は足りるものである。耳朶《じだ》が音を受ける程にも役に立たない。臭を吸い寄せる目的で高まっているものならば、もっとずっと長くなって穴はその先端になければならぬ」
 というところに気付かれるでありましょう。
「これは大方鼻をかむという刺激が積り積ってこんな事になったのじゃないか」
 なぞいう解釈を下している人もあります。
「しかしそれにしては鼻の頭が丸過ぎるし、左右の根っ株もふくれ過ぎている」
 という事も同時に気付かれるであろうと考えられます。
 これに反してもっと気取った人の中《うち》にはこんな解釈を下しておられる向きもあります。
「鼻というものは万有進化の道程に於て一つの有力な条件と見られている美的方面の原理に則《のっと》って出来たものである。一つは眉毛と同様に顔
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