とが如何に入れ交《まじ》り飛び違って日常の交際に活躍していることでしょうか。舌筆に尽されぬ位複雑多角形な人類生活の各種の場面に出合った人々の、形容も出来ぬ位込み入った各種の表現が、如何に巧みに、或いは如何にゴチャゴチャと刹那的に行われつつある事でしょうか。そうして如何なる反応と共鳴とを交換しつつある事でしょうか。
「こんな高価《たか》い帯地が買えるものかね」
と番頭さんには云いながら、「欲しいわねえ」という鼻の表現を御主人に振り向けられます。御主人はさり気なく葉巻の煙をさり気なく吹き上げながら、
「そうだなあ」
と鼻だけニッタリとさせて、「ネーアナタ」を期待しておられます。序《ついで》に「些し困るけどお前のためなら」という恩着せがましい表情を鼻の御隅《おんすみ》に添え付けておられる……といったような場面はちょいちょい拝見するようであります。この表現を見分けるか見分けぬかが又番頭さんの腕前の分かれるところで、この潮合に乗りかけて、
「その代り柄や色合はしっかり致しておりますから却《かえ》って御徳用でゲス。第一|見栄《みばえ》が他のものとは全く御覧の通り違いますから……近頃ではどなた様も消費経済とかいう思召《おぼしめし》で却ってこのようなのが、エヘヘヘヘヘ」
とか何とか思い切って踏ん込めば、最後の「ネーアナタ」と「止むを得ぬ」とを同時に占領する事が出来るのであります。
「あなたの御蔭で私は起死回生の思いを致しました。御鴻恩《ごこうおん》は死んでも忘却致しませぬ」
「どう致しまして。畢竟《ひっきょう》あなたの御運がいいので……何しろ結構で御座いました」
というような会話が如何にもまことしやかに取り換わされます。ところがお礼を云われた方では何だか物足りないような気がしている。
「あいつどうも本当に有難がっていないらしい。世話をして見ると案外軽薄な奴に見える。一寸一杯喰わされたかな」
という一種の不愉快と不安が湧いている。そのような場合はきっと相手の鼻が衷心からの感謝の意を表明していないためで、
「こう云っときゃあ喜ぶだろう。又頼む時にも都合がいいから」
位の有難さしか感じていないその熱誠の度合いがそっくりそのまま鼻の頭に顕《あら》われていて、その眼や口が表現している熱度よりも著しく低い度合を示しているからであります。
「お宅に伺いますとついのんびりして了《しま》
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