リと一雫《ひとしずく》しないまでも、ここを見損ねた親たちや仲人は、あったら娘を一生不幸の淵に沈淪《ちんりん》させる事になるのであります。
「オッと来《きた》り承知の助。さあさあ何でも持って来い。すっかり俺《わし》が片付けてやる」
 といった程度の安請合いに対する誠意の有る無しは、その眼よりも口よりも真中でニヤニヤ笑っているところに最もよく現われていなければなりませぬ。
「何様《どなた》も御馳走様になりまして。お珍らしいものばかり。イヤ頂戴致します」
 と云いながらちっとも頂戴する気にならない気もちは、細く波打つ眼とおちょぼ口との間にありありと見えすいているものであります。
 男と死ぬ約束をして奉公先からそれとなく暇乞《いとまご》いに来た娘が帰るさに、
「身体《からだ》を大切にしておくれ」
 と云われて、
「アイヨ」
 と笑った眼つき口もと。その間に云い知れぬ悲しい決意を示す鼻の表現……それがそれとなく気にかかって、
「ああ。無分別な事でも仕出かしてくれなければよいが」
 という物思い……。
 その他「重々恐れ入りました」という奴の鼻が「今に見ろ」という気ぶりを見せ、「貴方はおえらいですよ」と賞める鼻が「賞めたい事はちっともない」と裏書きし、「妾《わたし》もうお芝居は見飽きちゃったのよ」と見栄を言いながら実は行きたい鼻の先のジレンマなぞ、数え立てると随分あります。
 鼻の表現がその本人の意志を偽らないと同様に、その本人の性格を表現する場合でも決してその真相を誤らないのであります。
 性格が愚鈍である以上、その鼻の尖端に才気の閃きは決して見る事が出来ないのであります。いくら謹み返っていても性得ガサツ者である限り、鼻は何となくソワソワしているものであります。
「もう私は今度でこりごりしました。ふっつり道楽を思い止《とど》まりました。ふだんの御恩がわかりました。何卒今度切りですから、助けると思って今一度お金を頂戴」
 と両手を突いて涙をこぼしている息子の鼻が、昔の通りニューとしている。こんなのはテッペンから、
「糞でも喰らえ、この野郎。今度切りが何遍あるんだ。トットと出てうせろ」
 とたたき出されます。
「何だ喧嘩だ。喧嘩なら持って来い。俺が相手になってやる。篦棒《べらぼう》めえ、誰だと思っていやがるんだ」
 と大見得を切って立ち上っても、臆病者の鼻の表現は必ず魘《おび》え
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