》同様、ハイカラ風の吹き散らすに任せ、文化の雨がタタキ流すに任せております。
 しかし鼻の表現ばかりはそうは行かぬ。「天に口なし、鼻を以て云わしむる」という事を覿面《てきめん》に証拠立てるものであるという事が、もし本当に人類全体にわかったらどうでしょう。今云っている言葉、今やっている表現が、本当に心から出たのであるかどうかという事を即座に判決する裁判官が、自分の顔の真中に控えているという事が真実に一般に自覚されたらどうでしょう。
「そんな事があるものか」と笑う人の鼻の表現にはきっと負け惜《おし》みの色が動いているものであるという事が判明したら、そもそもどんな事になるでありましょうか。
 鼻の無い方が世間に何人おられるか存じませぬが、そんな方はお気の毒ですからここではイジメませぬ。さもない限りすべての鼻の持主は、正に人類文化の大革命、表現界の大恐慌として狼狽されるに違いありませぬ。

     鼻と文化生活
       ――悪魔式鼻の表現(十三)

 悪魔式鼻の表現の弱点をここ迄|抉《えぐ》り付けて来ますと、きっと次のように反対論者が世界中から攻撃の矢を向けるに違いありません。
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鼻の表現は人の心をアケスケに見せるという事はよくわかった。それが又人類文化向上の原動力だという理屈もよくわかった。しかしこの道理を人類全体が自覚したとしたら変な事になってしまいはしないか。
第一自分の鼻がそんな物騒なものだとわかったら、うっかり口も利けなくなる。人類文化の改良どころか社会生活の破滅になりはしないか。
たった一度しか買わぬのに「毎度有難う」と云う商売人、又かと思ういやなお客に「ホントニお久し振りね」と云う芸者、「貴国の軍備縮小に満腔の敬意を払う」と云う外交官、「とんだ御不幸で」と駈け付ける新聞記者、その他到る処の御世辞や御愛嬌は片っ端からフン詰まりになって、人間到る処、篦棒とブッキラ棒のたたき合いになってしまう。そうなれば人類文化の運の尽《つき》ではないか。これを以てこれを見れば、鼻の表現の研究宣伝は不可能である。可能であっても不賛成である。
[#ここで字下げ終わり]
 ……と……。
 ……まことに事理明白な次第でありますが、幸か不幸かこの御心配は御無用である事を、横町《よこちょう》の黒犬と竪町《たてちょう》の白犬とが往来の真中で証明してくれるのでありま
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