人士翁ノ名ヲ聞キテ襟ヲ正サザルナシ。歿後二十五年、旧門下追慕|措《お》カズ、大方ノ喜捨ヲ請フテ之ヲ建ツ。
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隠れたる偉人、梅津只圓翁の略歴は下記の通りである。勿論僅かに残っている翁の手記等によって、微力な筆者が調査、推測想像したものだから遺漏敗欠が少くない事と思うが、そのような点は引続き大方の御指摘是正を蒙って、老師の真伝記を完成する事が出来たならば、筆者の幸福これに過ぐるものはない。ただ粗漏|蕪雑《ぶざつ》のまま大体を取纏めて公表を急がなければならなくなった筆者の苦衷を御諒恕の程幾重にも伏願する次第である。
梅津家は代々非常な遠祖から歌舞音曲の家柄であったという。山城国葛野郡に現在梅津という地名が在って、梅津家は代々ここに定住し、そうした家業を司っていたらしい。但し如何なる種類の歌舞音曲であったかは的確に判明しないが、後に同家の家系の中から梅若九郎右衛門なぞいう名家を分派したところを見ると、相当の繁栄を遂げていた事が推測される。梅若というのは梅津の一字を残し、若の一字を附け加えて芸名とし、旧来の梅津家の伝統と区別して華やかに披露をしたところから起った家名
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