備船、袖港丸《しゅうこうまる》を試運転の名目で借り出した。速力十六|節《ノット》という優秀な密漁船の追跡用だったが、まだ乗組員も何も定《き》まっていなかった。こいつに油と食糧を積込んで、友吉親子に操縦法を仕込みながら西は大連、営口から南は巨済島、巨文島、北は元山、清津《せいしん》、豆満江《とまんこう》から、露領沿海州に到るまで要所要所を視察してまわること半年余り……いかな太っ腹の佐々木知事も内心大いに心配していたというが、それはその筈だ。電報一本、葉書一枚行く先から出さないのだからね。大いに謝罪《あやま》ってガチャガチャになった船を返すと、その足で釜山に引返して、友吉親子もろ共に山内閣下にお目にかかった。むろん官邸の一室で、十時|過《すぎ》に勝手口から案内されたもんだが、思いもかけない藁塚《わらづか》産業課長が同席して、吾輩と友吉おやじの視察談を、夜通しがかりに聞き取ってくれたのには感謝したよ。友吉親子一代の光栄だね。
その結果、藁塚産業課長が急遽《きゅうきょ》上京して、内務省、司法省、農商務省、陸海軍省と重要な打合わせをする。その結果、朝鮮各道の警察、裁判所に厳重な達示が廻わって、銃砲火薬類取締の粛正、不正漁業徹底|殲滅《せんめつ》の指令が下る。しかも総督府から指導のために出張した検事正や、警視連の指《ゆびさ》す処が一々不思議なほど図星《ずぼし》に中《あた》る。各地の有力者が続々と検挙される。その留守宅の床下や地下室、所有漁場の海岸の砂ッ原、岩穴の奥、又は妾宅の天井裏や泉水の底なぞから、続々証拠物件が引上げられるという、実に疾風迅雷式の手配りだ。ここいらが山内式のスゴ味だったかも知れないがね。
それあ嬉しかったとも……吹けば飛ぶような吾々の報告が物をいい過ぎる位、いったんだからね。
しかしソンナ事はオクビにも出せない。むろん総督府の方でも御同様だったに違いないが、その代りに今後、爆薬漁業の取締に就《つ》いて、万事、漁業組合長、轟技師の指導を受くべし……といったような命令が、各道の官庁にまわったらしい。吾輩の講演を依頼する向きがソレ以来、激増して来たのには面喰った。一時は、お座敷がブツカリ合って遣り繰りが付かないほどの盛況を逞《たくましゅう》したもんだ。流石《さすが》のドン様ドン様連中も、最早《もはや》イケナイと覚悟したらしいんだね。実に現金な、浅墓《あさはか》な話だとは思ったが、しかし悪い気持ちはしなかったよ。とにもかくにもソンナ調子で南鮮沿海からドンの声が消え失せてしまった。それに連れて沿岸から遠ざかっていた鯖の廻遊が、ダンダンと海岸線へ接近し初めたので、漁師連中は喜ぶまいことか……轟様轟様……というので後光がさすような持て方だ。
吾輩の得意、想うべしだね。「ソレ見ろ」というので友吉おやじと赤い舌を出し合ったが、これというのも要するに、あの呑兵衛|老医師《ドクトル》のお蔭だというので、三人が寄ると触ると、大白《たいはく》を挙げて万歳を三唱したものだ。
ハッハッ……その通りその通り。どうも吾輩の癖でね。じきに大白を挙げたくなるから困るんだ。汝《なんじ》元来一本槍に生れ付いているんだから仕方がない。スッカリ良い気持になって到る処にメートルを上げていたのが不可《いけ》なかった。思いもかけぬ間違いから自分の首をフッ飛ばすような大惨劇にぶつかる事になった。ドン漁業に対する吾輩の認識不足が、骨髄に徹して立証される事になったのだ。
……どうしてって君、わからんかね……と……云いたいところだが、そういう吾輩も実をいうと気が付かなかった。朝鮮沿海からドンの音が一掃されたので、最早《もはや》大願成就……金比羅《こんぴら》様に願ほどきをしてもよかろう……と思ったのが豈計《あにはか》らんやの油断大敵だった。ドンの音は絶えても、内地の爆弾取締りは依然たる穴だらけだろう。ちっとも取締った形跡が無いのだ。藁塚産業課長の膝詰《ひざづめ》談判が、今度は「内地モンロー主義」にぶつかっていた事実を、ドンドコドンまで気付かずにいたのだ。
その証拠というのは外でもない。山内さんが内地へ引上げて内閣を組織されるようになった大正五年以後、折角《せっかく》、引締まっていた各道の役人の箍《たが》がグングン弛《ゆる》んで来たものらしい。それから間もなく大正八年の春先になると、一旦、終熄《しゅうそく》していた爆弾《ドン》漁業がモリモリと擡頭して来た。……一度|逐《お》い捲くられた鯖の群れが、岸に寄って来るに連れて、内地から一直線に満洲や咸鏡北道《かんきょうほくどう》へ抜けていた爆薬が、モウ一度南鮮沿海でドカンドカンと物をいい出すのは当然の帰結だからね。おまけに今度は全体の遣口《やりくち》が、以前よりもズット合理的になって来たらしく、友吉|親仁《おやじ》の千里眼、
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