明け話だ。……フウン。多分ソンナ事じゃろうと思うてワザワザ訪ねて来た……ウンウン。流石《さすが》は商売人だけある。アハハハ。イヤ。馬鹿にしとる訳じゃない。そんなら尚の事、話し甲斐《がい》があるんだ。……実は吾輩もこの問題に就《つ》いては千秋の遺恨を含んでいるんだからね。今云った朝野の巨頭連は、馬鹿正直な吾輩一人を蹴落して、自分等の不正事実を蔽い隠そうと試みているのだ。吾輩の事業の隠れたる後援者であった山内正俊閣下が、去年の十一月に物故されて以来、吾輩が木から落ちた猿同然、手も足も出なくなっている事を、彼奴《あいつ》等はチャンと知っていやがるんだ。彼奴《きゃつ》等の肉を裂き、骨をしゃぶっても飽き足りない思いを抱きながら吾輩は、この釜山港口、絶影島《まきのしま》の一角に隠れて、自分の食う魚を釣っていたんだ。
 ナニ……何だって。君の今度の旅行は、そのための秘密調査が目的だ……? 温泉巡りとは真赤な偽り……脊髄カリエスの静養休暇は検事総長と打合わせた芝居に過ぎん……?
 ……エエッ……何という。ホントウかいそれあ。ヘエ――ッ……。
 こいつは一番、驚いたね。いくら何でも、チイット炯眼《けいがん》過ぎやせんか……それは……。
 何を隠そう吾輩は現在、この事件に関する詳細な報告書をあの机の上に書きかけとるんだ。しかしこれほどの怪事件はチョイトほかに類例が無いし、問題が又ドエラク大きいもんだから、あの報告書が出来上っても、どこへ出したら宜《え》えかチョット見当が附かんで困っておったところだが……まさかソコを探知して受取りに来たんじゃあるまいな……君は……。
 フウン。そうだろう。そこまでは知らなかった筈だ。
 ……フウン……しかし奇怪な投書が検事総長の処へ来ている……ヘエ。どんな投書だ……。
 何だ。持って来ているのか。ドレドレ見せ給え……。
 ……ヤッ……これは血書じゃないか。しかも立派な美濃紙が十枚以上在る。大変な努力だぞ。これは……投函局が佐賀県の呼子《よぶこ》か……おかしいな。あすこにも吾輩の乾児《こぶん》が居るには居るが……大正九年八月十五日……憂国の一青年より……堅田検事総長閣下……フーム。無論、吾輩が書いたんじゃないよ。書体を見ればわかる。……ウーム……と……。
「私ハ貴官ノ正シイ御心ヲ信ジテコノ手紙ヲ書キマス。
 水産翁、轟雷雄先生ガ免職ニナリマシタ裡面ニハ、国家ノタメニナラヌ重大秘密ガアリマス。大正八年十月十四日ノ午後一時カラ二時ノ間ニ、××デ警察署長ガ三人ト、判事ヤ検事ガ四人ト、松島|見番《けんばん》ノ芸妓《げいしゃ》二名ガ殺サレタ事件ノ原因ヲ調ベテ下サイ。貴官ノホカニ、コノ真相ヲ調ベ切ル人ハアリマセン。
 貴官ガコノ事件ヲ、本気デ調査サレタ事ガワカリマシタラ私ガ貴官ノ御宅ニ出頭シテ、真相ヲオ話シシマス。何トナレバ右ノ九人ノ人間ガ死ンダ事件ノ裏面ニ潜ム恐ロシイ爆弾売買ノ真相ヲオ話シ出来ルモノハ、私一人シカ居リマセンカラ。
 モシ貴官ガ今年一パイ、コノ問題ヲ調ベズニ打チ棄テテオカレタナラバ、貴官モ爆弾売リノ仲間ト認メマス。ソウシテ私ハ別ノ手段デ、モットモット皆サンニ、思イ知ラセマス。ドウゾドウゾ国家ノタメニ御調ベヲ願イマス」
 ウーム。検事総長を威嚇した訳だな。
 ……成る程……この投書は二十歳内外の不規則な学問をした青年が、字引引き引き一生懸命に書いたものらしいという見込だね。ウム。「芸妓」とか「爆弾」とかいう難しい文字が特に、活字の通りに正しく書いてあるので推定した……成る程なあ。感心なもんだな。ウーム……それからタッタ一語だけ使ってある「調べ切る」という言葉が「調べ得る」という意味で使った九州北部の方言であるところから察すると、この青年は国家問題に昂奮し易い福岡県下の出身かも知れぬと云うんだね。……賛成だ。吾輩|双手《もろて》を挙げて賛成するね。お互いに福岡生れだから、こうした青年の気持ちがよくわかるんだよ。とにかく生命《いのち》がけのスゴイ奴に違いない。そこでこの投書を信用して、君が出張して来たという訳か、吾輩の心当りを探るべく……。
 何……まだ話がある……。ハハア……書いた奴の詮索は後廻しか。事実の有無が何より先に問題だと云うんだね。如何にも如何にも……そこで朝鮮総督府へ公文書で問合わせた。成る程……そういった司法官や芸妓が同月、同日の殆んど同時刻に死傷する程の事件ならば、総督府でも知らない筈はないからな。面白い面白い……そうしたらドンナ回答が来た……。ナニ……。
「管轄違いだ。返答の限りに非《あら》ず」
 と突放して来た。怪《け》しからんじゃないか。……回答した奴は何者だ。フウン。わからんというのか。ただ総督府の太鼓判がベッタリと捺《お》してあるだけだ。……いよいよ以《もっ》て怪しからんじゃないか。
 ハハ
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