者《ひとりもの》の晩酌で、羽化登仙《うかとうせん》しかけているところへ、友吉の屍体を担《かつ》ぎ込んで、何でもいいから黙って死亡診断書を書いてくれと云うと、鶴髪童顔先生フラフラの大ニコニコで念入りに診察していたが、そのうちに大声で笑い出したものだ。
「……アッハッハッハッ。折角持って来なすったが、これは死亡診断を書く訳にいかんわい。まだ脈が在るようじゃ。アッハッハッハッハッ……」
 という御託宣だ。……馬鹿馬鹿しい。何を吐《ぬ》かす……とは思ったが、忰が飛び上って喜ぶし、呑兵衛《のんべえ》ドクトルも、
「……拙者が請合って預かろう。行くか行かんか注射をしてみたい……」
 と云うから、どうでもなれと思って勝手にさしておいたら……ドウダイ。二日目の朝になったら眼を開いて口を利くようになった。
 傷口も処々乾いて来た。熱も最早《もう》引き加減……という報告じゃないか。呑兵衛先生、案外の名医だったんだね。おまけに忰の友太郎が又、古今無双の親孝行者で、二晩の間ツラリ[#「ツラリ」に傍点]ともしない介抱ぶりには、流石《さすが》のワシも泣かされた……という老|医師《ドクトル》の涙語りだ。
 そこで吾輩もヤット安心して、組合の仕事に没頭しているうちに、忘れるともなく忘れていると、二三週間経つうちに、それまでチョイチョイ吾輩の処へ飲みに来ていた老|医師《ドクトル》がパッタリと来なくなった。……ハテ。可笑《おか》しい……もしや患者の容態が変ったのじゃないか知らん。それとも呑兵衛先生御自身が、中気《ちゅうき》にでもかかったのじゃないか知らん……考えているうちに、急に心配になって来たから、チットばかりの金《かね》を懐中《ふところ》に入れて、医院《せんせい》の門口《かどぐち》から覗き込んでみると、開いた口が三十分ばかり塞がらなかった。
 鬚《ひげ》だらけの脱獄囚みたいな友吉おやじと、鶴髪童顔、長髯の神仙じみた老ドクトルが、グラグラ煮立《にえた》った味噌汁と虎鰒《とらふぐ》の鉢を真中に、片肌脱ぎか何かの差向いで、熱燗《あつかん》のコップを交換しているじゃないか。おまけに酌をしている忰の友太郎を捕まえて、
「……野郎。この事を轟の親方に告口《つげぐち》しやがったらタラバ蟹《がに》の中へタタキ込むぞ」
 と怒鳴っているのには腰を抜かしたよ。医者が医者なら病人も病人だ。世の中にはドンナ豪傑がいるか知
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